コントこのタグの資料 12 本

  1. ダウンタウン NSC1期生が漫才とコントの「間」を変えた新着No.96

    ダウンタウンは、吉本興業の養成所 NSC の1期生、松本人志と浜田雅功が1982年に組んだコンビである。ゆったりした間の漫才と、関係性で笑わせるコントで1990年代のテレビの笑いの中心になった。2024年に松本が週刊誌報道を受けて活動を休止し、2025年11月に有料配信「DOWNTOWN+」で再開したが、2026年10月に術後の体調から休養を続けると伝えている。

  2. ダウンタウンのごっつええ感じ 日曜8時にコントの連作を並べ、野球中継の差し替えで終わった新着No.85

    フジテレビの『ダウンタウンのごっつええ感じ』は1991年12月から1997年11月まで日曜20時に放送された、ダウンタウンを中心とするコント番組である。最高視聴率は関東で24.2%、関西で28.0%に達したが、1997年9月のスペシャルがプロ野球中継に差し替えられたことをきっかけに終わった。

  3. オレたちひょうきん族 漫才ブームの芸人たちが、作り込まない笑いで土曜8時を奪った新着No.83

    フジテレビの『オレたちひょうきん族』は1981年から1989年まで土曜20時に放送されたお笑い番組で、漫才ブームで売れた芸人たちがコントやパロディを演じた。1982年10月に初めて裏番組の『8時だョ!全員集合』を視聴率で上回り、1985年の同番組の終了につながったとされる。

  4. 8時だョ!全員集合 毎週の公開生放送で、ドリフのコントが土曜8時を占めた16年新着No.82

    TBSの『8時だョ!全員集合』は1969年から1985年まで土曜20時に放送された、ザ・ドリフターズのコント番組である。全国のホールから毎週公開生放送を行い、1973年4月7日には関東で50.5%(ビデオリサーチ)という、バラエティ番組として史上最高とされる視聴率を記録した。

  5. 芸能事務所と養成所 弟子入りから学校へ、芸人の生まれ方が変わった新着No.73

    芸人は長く師匠への弟子入りで育ったが、1982年に吉本興業が養成所NSCを開いてから、学校で学んで事務所に入る道が広がった。松竹芸能、太田プロ、人力舎、ワタナベ、マセキなどの事務所もそれぞれ養成所や得意な芸を持ち、芸人の生まれ方は事務所ごとに色が違う。

  6. キングオブコント 芸人が芸人を採点する、コントの日本一決定戦新着No.52

    キングオブコントはTBSテレビが2008年に始めたコントの大会で、2人以上のグループならプロもアマチュアも出られる。審査は準決勝敗退者の採点から芸人審査員へ、さらに歴代王者だけの審査へと移り、2026年は審査員7人と初の敗者復活戦を取り入れた。2025年はロングコートダディ、2026年はジェラードンが優勝した。

  7. コント 浅草の幕間から土曜夜のテレビへ、そして賞レースへ新着No.33

    コントは役になりきり、衣装やセットを使って笑わせる寸劇である。戦前の軽演劇と戦後の浅草のストリップ劇場の幕間で磨かれ、1960年代後半からはコント55号とザ・ドリフターズがテレビの主役になった。テレビのコント番組は減っては増えを繰り返し、2008年に始まったキングオブコントが若手の目標になっている。

  8. 2000年以降のお笑い 賞レースとネタ番組が若手を押し上げ、笑いの舞台は配信にも広がった新着No.7

    2001年に始まったM-1グランプリを皮切りに、漫才、コント、ピン芸の賞レースが年中行事になり、2000年代にはネタ番組のブームも起きた。2010年代後半から芸人の活動はYouTubeや有料配信に広がり、M-1グランプリの出場者数は2025年、2026年と続けて過去最多を更新した。

  9. 1990年代のお笑い 劇場と深夜番組から出た「第三世代」がテレビの中心に座った新着No.6

    1980年代に世に出たとんねるず、ダウンタウン、ウッチャンナンチャンは、1990年代に自分たちの名前を冠したコント番組でゴールデンタイムの顔になり、「お笑い第三世代」と呼ばれた。90年代後半には『ボキャブラ天国』が若手のネタ見せの場となり、爆笑問題やネプチューンらが続いた。

  10. 1980年代のお笑い 漫才ブームが若者を客席に呼び、たけし、さんま、タモリの時代が来た新着No.5

    1980年、フジテレビの『THE MANZAI』などをきっかけに漫才ブームが起き、若い客が漫才師をアイドルのように迎えた。ブームは2年ほどで落ち着いたが、そこから出たビートたけしや明石家さんまは『オレたちひょうきん族』で個人の芸人として人気を広げ、タモリは昼の生放送の顔になった。

  11. 1960〜70年代のお笑い 演芸ブームの公開番組から、動き回るコントの時代へ新着No.4

    1960年代、客席を入れて収録する演芸番組がテレビに並び、落語家、漫才師、トリオ、コミックバンドが一度に茶の間へ届いた。演芸ブームの中からコント55号とザ・ドリフターズが現れ、舞台を動き回るコントが土曜夜の主役になった。大阪では横山やすし・西川きよしが型破りな漫才で頭角を現した。

  12. 戦後のお笑い 焼け跡の寄席からラジオの風刺へ、そしてテレビの時代が始まった新着No.3

    焼け跡の東京と大阪で寄席が建て直され、ラジオでは風刺コントの『日曜娯楽版』が人気を集めた。1951年の民間ラジオ開局で漫才師の出番が増え、1953年にはテレビ放送が始まった。1959年には大阪でテレビ局の開局と同じ日に、のちの吉本新喜劇が幕を開けた。

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