数字・統計このタグの資料 12 本

  1. 森田一義アワー 笑っていいとも! 新宿の昼の生放送を、タモリが31年半続けた新着No.84

    フジテレビの『森田一義アワー 笑っていいとも!』は1982年10月4日から2014年3月31日まで、平日の正午に新宿のスタジオアルタから生放送された。司会のタモリは全8054回を一人で務め、生放送の単独司会としてギネス世界記録に認定された。

  2. オレたちひょうきん族 漫才ブームの芸人たちが、作り込まない笑いで土曜8時を奪った新着No.83

    フジテレビの『オレたちひょうきん族』は1981年から1989年まで土曜20時に放送されたお笑い番組で、漫才ブームで売れた芸人たちがコントやパロディを演じた。1982年10月に初めて裏番組の『8時だョ!全員集合』を視聴率で上回り、1985年の同番組の終了につながったとされる。

  3. 8時だョ!全員集合 毎週の公開生放送で、ドリフのコントが土曜8時を占めた16年新着No.82

    TBSの『8時だョ!全員集合』は1969年から1985年まで土曜20時に放送された、ザ・ドリフターズのコント番組である。全国のホールから毎週公開生放送を行い、1973年4月7日には関東で50.5%(ビデオリサーチ)という、バラエティ番組として史上最高とされる視聴率を記録した。

  4. R-1グランプリ 落語の「R」から始まった、ひとり芸の日本一決定戦新着No.53

    R-1グランプリはひとりで演じる芸の大会で、2002年に「R-1ぐらんぷり」として始まった。2021年に名前を改めて出場者を芸歴10年以内に絞り、2024年にその制限を外した。2026年の第24回は過去最多の6,171人が参加し、今井らいぱちが優勝した。

  5. キングオブコント 芸人が芸人を採点する、コントの日本一決定戦新着No.52

    キングオブコントはTBSテレビが2008年に始めたコントの大会で、2人以上のグループならプロもアマチュアも出られる。審査は準決勝敗退者の採点から芸人審査員へ、さらに歴代王者だけの審査へと移り、2026年は審査員7人と初の敗者復活戦を取り入れた。2025年はロングコートダディ、2026年はジェラードンが優勝した。

  6. M-1グランプリ 島田紳助と吉本の企画から、1万組を超える漫才師が目指す年末の大会へ新着No.51

    M-1グランプリは2001年に島田紳助と吉本興業の谷良一が立ち上げた漫才の大会で、2010年にいったん終わり、2015年に結成15年以内へ資格を広げて復活した。2025年の第21回は11,521組が参加してたくろうが優勝し、2026年の第22回は過去最多の12,663組で予選が続いている。

  7. 上方の笑いと東京の笑い 違いはどこにあり、どこまで言えるのか新着No.37

    上方と東京の笑いには、落語の演出や身分制度、漫才の生まれた場所、喜劇の劇団の残り方など、資料で確かめられる違いがある。一方で「大阪の人はよく笑う」「関西人はユーモアがある」という見方は、心理学の調査では裏付けがはっきりしない。違いは芸の制度と歴史にあり、人の気質の違いとまでは言い切れない。

  8. 講談・浪曲・漫談 落語の隣で語り継がれてきた話芸新着No.36

    講談は張り扇で釈台を叩きながら軍記や武勇伝を読む芸、浪曲は三味線の伴奏で節をつけて語る芸である。どちらも明治から昭和の初めに全盛を迎え、浪曲はラジオで最も好まれる番組になったが、戦後のテレビの時代に衰えた。近年は講談の神田伯山、浪曲の玉川太福らが新しい客を呼び、浪曲から初の人間国宝も出た。

  9. 落語 一人で座って演じる話芸が、江戸と上方で別々に育った新着No.31

    落語は江戸時代の中ごろ、京都・大坂・江戸でほぼ同じ時期に職業的な噺家が現れて始まった。東京には前座・二ツ目・真打の身分があり、上方には見台やはめもの(お囃子)を使う独自の演出がある。上方は戦後に定席を失ったが、2006年の天満天神繁昌亭で約半世紀ぶりに寄席を取り戻した。

  10. 2000年以降のお笑い 賞レースとネタ番組が若手を押し上げ、笑いの舞台は配信にも広がった新着No.7

    2001年に始まったM-1グランプリを皮切りに、漫才、コント、ピン芸の賞レースが年中行事になり、2000年代にはネタ番組のブームも起きた。2010年代後半から芸人の活動はYouTubeや有料配信に広がり、M-1グランプリの出場者数は2025年、2026年と続けて過去最多を更新した。

  11. 1980年代のお笑い 漫才ブームが若者を客席に呼び、たけし、さんま、タモリの時代が来た新着No.5

    1980年、フジテレビの『THE MANZAI』などをきっかけに漫才ブームが起き、若い客が漫才師をアイドルのように迎えた。ブームは2年ほどで落ち着いたが、そこから出たビートたけしや明石家さんまは『オレたちひょうきん族』で個人の芸人として人気を広げ、タモリは昼の生放送の顔になった。

  12. 1960〜70年代のお笑い 演芸ブームの公開番組から、動き回るコントの時代へ新着No.4

    1960年代、客席を入れて収録する演芸番組がテレビに並び、落語家、漫才師、トリオ、コミックバンドが一度に茶の間へ届いた。演芸ブームの中からコント55号とザ・ドリフターズが現れ、舞台を動き回るコントが土曜夜の主役になった。大阪では横山やすし・西川きよしが型破りな漫才で頭角を現した。

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