No.206新着 ものまね芸 歌舞伎の声色から声帯模写へ、テレビの「ものまね王座決定戦」で四天王の時代になった
ものまね芸のもとは、歌舞伎役者の台詞回しをまねる江戸時代の「声色」である。昭和に古川緑波が「声帯模写」と呼んで寄席の芸に押し上げ、戦後はラジオとテレビで歌手や政治家もまねの対象になった。1973年に始まったフジテレビ『ものまね王座決定戦』が舞台となり、1980年代後半から90年代にコロッケ、清水アキラらの「ものまね四天王」が人気を集めた。同番組は2000年に終わり、2012年に特番として復活して2025年も放送された。
本文と出典
あらまし
ものまね芸は、他人の声や話し方、しぐさを似せて笑いや感心を取る芸である。日本では、江戸時代の宴席や寄席で歌舞伎役者の台詞をまねた「声色」が前身にあたる。昭和に入ると、喜劇俳優の古川緑波が声色を現代風に言い換えて「声帯模写」と名づけた。戦後はラジオとテレビがこの芸の舞台になり、歌手の歌をまねる「歌まね」が加わった。テレビのものまね番組では、フジテレビの『ものまね王座決定戦』が中心になった。1980年代にはコロッケが、歌手の顔や動きまで似せる見せ方で人気を得た。
主なできごと
・1688〜1704年(元禄期) 辞典は、宴席で客をもてなす幇間(たいこもち)が声色を演じたのが始まりと説明している
・1818〜30年(文政期) 声色が寄席に入り、幕末までに多くの演者が出たとされる
・大正末期 「声帯模写」という語が使われ始めたと、事典は説明している
・1934年 『古川ロッパ日記』の1月11日の記述が、辞典に挙げられた「声帯模写」の用例の初出である
・1973年11月6日 フジテレビで『第1回オールスターものまね王座決定戦』が放送される。優勝は森昌子
・1980年 コロッケが活動を始める(資料の表記による)
・1985年7月2日 『爆笑!スターものまね王座決定戦』が加わり、2つの番組が交互に放送される
・1992年3月31日 コロッケが出演した最後の回の放送。この年にフジテレビのものまね番組を降板する
・1994年4月 『爆笑!スター』の回が35.4%を記録する。資料の一覧では最高値である
・2000年10月3日 第1期の最終回が放送される
・2009年5月3日 日本テレビ『ものまねグランプリ』が始まる(2023年12月12日まで)
・2012年7月6日 『ものまね王座決定戦』が12年ぶりに特番として復活する
・2025年12月6日 復活後の第15回が放送され、nanamiが優勝する
声色から声帯模写へ
声色は、歌舞伎役者の台詞回しをまねる芸だった。事典の説明では、元禄のころに幇間が宴席で演じ、文政のころから寄席で聞かれるようになった。幕末から明治にかけては、二人連れで街を流し、花街や夏の川べりで演じる者もいた。しかし客のほうが歌舞伎に親しまなくなると、この型は衰えたとされる。
「声帯模写」という語は、喜劇俳優の古川緑波の造語として辞典に載っている。用例の初出は1934年の日記だが、世界大百科事典や日本大百科全書は大正末期から使われたと説明しており、語が生まれた時期と書き残された時期は区別する必要がある。名前は、寄席で仕種をまねる「形態模写」をもじったものとされる。
対象は、歌舞伎役者から有名人や政治家、動物の鳴き声へ広がった。日本大百科全書は、戦後には政治家や評論家もまねの対象に加わったと記している。声帯模写の演者としては、桜井長一郎と三遊亭円竜が挙げられ、動物の声では3代江戸家猫八(1921〜2001)が知られる。ラジオが発達した時期に盛んになり、ラジオとテレビで広く聞かれる芸になった。
テレビの番組と四天王
テレビでの舞台になったのが、フジテレビの『ものまね王座決定戦』である。1973年11月6日に『第1回オールスターものまね王座決定戦』として放送され、優勝は森昌子だった。初期は若い歌手の趣向を凝らした出し物が中心だったという。1985年に笑いに寄せた『爆笑!スターものまね王座決定戦』が加わると、2つの番組が交互に放送されるようになった。1987年にプロデューサーが替わってからは、笑いとパロディーの色が強くなったと記録されている。
この番組で人気が出たのが、清水アキラ、ビジーフォー(グッチ裕三とモト冬樹)、栗田貫一、コロッケの4組である。「ものまね四天王」と呼ばれるようになったのは1990年ごろとされる。優勝回数は、ビジーフォーと清水アキラが各5回で最多、栗田貫一が4回である。
コロッケは1960年に熊本で生まれ、日本テレビ『お笑いスター誕生!!』で6週を勝ち抜いて銀賞を取った。1985年から『王座決定戦』で人気が上がった。歌手の声ではなく顔つきや振り付け、衣装を似せる「ビジュアル」のものまねで知られ、初期は歌声を録音で流していたと記されている。ロボットのように動く五木ひろしの型は、本人がのちにCG版、アンドロイド版へ作り替えていったと語っている。1991年の第42回NHK紅白歌合戦では、美川憲一のものまねで本人と並んで歌った。
清水アキラは1954年に長野県で生まれ、『ぎんざNOW!』のコメディアン道場で5週連続のチャンピオンになった。顔にセロハンテープを貼って似せる芸や、村田英雄のものまねが持ちネタとされる。一方で、元の人物から離れた悪ふざけや下ネタが批判された面もあり、審査員の淡谷のり子から下品だと酷評されたことがある。2013年12月に『王座決定戦』と『爆笑そっくりものまね紅白歌合戦スペシャル』を降板した。
番組の終わりと復活
視聴率は1990年代に高く、資料の一覧では1994年4月の回が35.4%で最高だった。1992年にはコロッケがフジテレビのものまね番組を降板し、のちに日本テレビ『ものまねバトル』に出た。ビジーフォーもほどなく降板し、四天王は事実上いなくなったと整理されている。1999年には年2回の編成になり、2000年10月3日の第32回で赤いブレザーの廃止などの刷新をしたが、視聴率は番組最低の13%台で、この回を最後に終わった。
2009年からは日本テレビ『ものまねグランプリ』がネプチューンの司会で2023年12月まで続き、2024年5月から後継の『モノマネMONSTER』が始まった。フジテレビの『王座決定戦』は2012年7月6日に復活し、年末の特番として続いている。2025年12月6日の第15回では、nanamiが松田聖子のものまねで優勝した。
なぜ受けたのか
似せる芸は、まねられる側を観客が知っているほど分かりやすい。歌舞伎役者が主な題材だった声色は、歌舞伎が身近だった時代の芸だった。放送が広がると、題材は戦後の政治家や歌手、タレントに移った。テレビでは顔や衣装を見せられるため、声だけでなく見た目と動きも含めた「ビジュアル」の型が成り立った。歌手本人が審査員席に座り、まねられた側がどう受け止めるかも見どころになった。
評価の分かれる点
ものまねの「うまさ」の基準は、人によって分かれる。声や歌い方をそっくりに再現する型と、元の人物を離れて誇張や悪ふざけで笑わせる型は、番組の中でも評価が割れてきた。事典の説明でも、後者は「下品」「元の人物を離れている」と批判を受けた例が挙がっている。どちらを芸の本道と見るかは、資料からは決められない。
くらさんの考察
声色から声帯模写、さらにテレビのものまねへの流れは、まねる題材がその時代の客の共通の話題に合わせて入れ替わった過程と考えられる。歌舞伎役者、ラジオで聞く有名人、テレビで見る歌手と、客が知っているものが変わるたびに、芸の中身も変わってきた。コント(33)やピン芸(34)が自分の作った人物を演じるのに対し、ものまねは客がすでに知っている人物をどれだけ似せるか、あるいはどう崩すかで見せる。この点が違いと考えられる。四天王の時代が短く終わったのは、番組が同じ顔ぶれと形式に頼ったためという見方もできるが、資料から裏づけられるのは視聴率が下がったことまでである。
ジージへの問いかけ
・ジージが子どものころ、ラジオや寄席で聞いた声帯模写で、いちばん覚えているのは誰の何でしょうか。
・1985年からの『ものまね王座決定戦』を見ていたころ、コロッケや清水アキラのどこが面白いと感じましたか。
・ものまねは「そっくり」と「崩して笑わせる」のどちらを見たいと思いますか。
出典
・声帯模写(コトバンク) https://kotobank.jp/word/声帯模写
・声色(コトバンク) https://kotobank.jp/word/声色
・声帯模写(ウィキペディア) https://ja.wikipedia.org/wiki/声帯模写
・ものまね(ウィキペディア) https://ja.wikipedia.org/wiki/ものまね
・ものまね王座決定戦(ウィキペディア) https://ja.wikipedia.org/wiki/ものまね王座決定戦
・ものまね四天王(ウィキペディア) https://ja.wikipedia.org/wiki/ものまね四天王
・コロッケ (タレント)(ウィキペディア) https://ja.wikipedia.org/wiki/コロッケ_(タレント)
・清水アキラ(ウィキペディア) https://ja.wikipedia.org/wiki/清水アキラ
・ものまねグランプリ(ウィキペディア) https://ja.wikipedia.org/wiki/ものまねグランプリ
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