寄席・劇場このタグの資料 17 本

  1. ビートたけし 浅草の毒舌漫才から深夜ラジオ、そして世界の映画監督へ新着No.93

    ビートたけし(北野武、1947〜)は浅草フランス座で修業し、ツービートの毒舌漫才で1980年の漫才ブームの中心に立った。ブーム後は深夜ラジオとテレビのバラエティで笑いの主役になり、1989年からは映画監督として『HANA-BI』でヴェネツィア国際映画祭の金獅子賞を受けた。2026年も討論番組の司会を続けている。

  2. 横山やすし・西川きよし 「やすきよ」が漫才の型を崩し、ブームの頂点に立った新着No.92

    横山やすしと西川きよしは1966年に組んだ吉本興業の漫才コンビで、上方漫才大賞の大賞を4回受け、1980年代初めの漫才ブームでは東西のリーダー格だった。ボケとツッコミが途中で入れ替わる型破りの漫才は、後の世代に影響を与えたとされる。1986年のきよしの参院当選と、1989年のやすしの吉本解雇でコンビは事実上幕を下ろした。

  3. 桂米朝 滅びかけた上方落語を、古老の聞き書きとホール落語で立て直した新着No.91

    3代目桂米朝(1925〜2015)は、戦後に衰えていた上方落語を、文献と古老からの聞き取りで演目を掘り起こし、独演会やホール落語で客を育てて立て直した落語家である。1996年に人間国宝、2009年に落語家として初めて文化勲章を受けた。研究者としての仕事と、演者としての仕事が一人の中で結びついていた点に特色がある。

  4. 吉本新喜劇の舞台 毎週の新作、土曜昼のテレビ中継、座長が週ごとに受け持つ仕組み新着No.86

    吉本新喜劇は1959年3月1日、うめだ花月の開場とともに「吉本ヴァラエティ」として始まった喜劇の一座である。今はなんばグランド花月で毎週新作を上演し、毎日放送が土曜の昼に公演を放送している。脚本と上演は、座長が週ごとに受け持つ。

  5. 笑点 金曜夜席から60年、座布団を積む大喜利が日曜夕方の定番になった新着No.81

    日本テレビの『笑点』は1966年5月15日に始まった演芸番組で、前半の演芸と後半の大喜利という形を60年続けている。司会は立川談志から春風亭昇太まで6代を数え、2026年には「週間のテレビコメディーパネル番組の最長放送」としてギネス世界記録に認定された。

  6. 寄席と劇場 江戸の寄席から、なんばグランド花月とルミネtheよしもとまで新着No.72

    寄席は1798年に江戸で始まったとされ、いまも東京には鈴本演芸場、新宿末廣亭、浅草演芸ホール、池袋演芸場の4つの定席がある。大阪では2006年に天満天神繁昌亭が半世紀ぶりの落語の定席として開いた。漫才やコントの拠点は、吉本のなんばグランド花月(1987年)とルミネtheよしもと(2001年)である。

  7. 吉本興業の歩み 天満の寄席一軒から、漫才と新喜劇とテレビの会社へ新着No.71

    吉本興業は1912年、吉本吉兵衛とせいの夫婦が大阪天満の寄席を買い取って始まった。寄席を「花月」の名でまとめ、エンタツ・アチャコの漫才で客をつかみ、戦後は映画館経営を経て1959年に演芸へ戻った。2009年のTOBで上場をやめ、2019年に吉本興業ホールディングスとなった。

  8. 講談・浪曲・漫談 落語の隣で語り継がれてきた話芸新着No.36

    講談は張り扇で釈台を叩きながら軍記や武勇伝を読む芸、浪曲は三味線の伴奏で節をつけて語る芸である。どちらも明治から昭和の初めに全盛を迎え、浪曲はラジオで最も好まれる番組になったが、戦後のテレビの時代に衰えた。近年は講談の神田伯山、浪曲の玉川太福らが新しい客を呼び、浪曲から初の人間国宝も出た。

  9. 喜劇・新喜劇 曾我廼家とエノケンから、松竹新喜劇と吉本新喜劇へ新着No.35

    芝居で笑わせる近代の喜劇は、1904年に大阪で旗揚げした曾我廼家五郎と十郎の一座に始まる。昭和の初めには浅草でエノケンとロッパの軽演劇が人気を競った。戦後の大阪では、人情喜劇の松竹新喜劇と、テレビ局の開局と同じ日に生まれた吉本新喜劇が並び立った。

  10. ピン芸 活動弁士の漫談から、一人コントとR-1まで新着No.34

    一人で笑わせる芸の流れは、大正の終わりに活動弁士の大辻司郎が名付けた漫談に始まる。漫談は綾小路きみまろらに受け継がれ、2000年代には一人コントやフリップ芸のピン芸人がテレビで増えた。2002年に始まったR-1ぐらんぷり(今のR-1グランプリ)が一人の芸の大会として続いている。

  11. コント 浅草の幕間から土曜夜のテレビへ、そして賞レースへ新着No.33

    コントは役になりきり、衣装やセットを使って笑わせる寸劇である。戦前の軽演劇と戦後の浅草のストリップ劇場の幕間で磨かれ、1960年代後半からはコント55号とザ・ドリフターズがテレビの主役になった。テレビのコント番組は減っては増えを繰り返し、2008年に始まったキングオブコントが若手の目標になっている。

  12. 落語 一人で座って演じる話芸が、江戸と上方で別々に育った新着No.31

    落語は江戸時代の中ごろ、京都・大坂・江戸でほぼ同じ時期に職業的な噺家が現れて始まった。東京には前座・二ツ目・真打の身分があり、上方には見台やはめもの(お囃子)を使う独自の演出がある。上方は戦後に定席を失ったが、2006年の天満天神繁昌亭で約半世紀ぶりに寄席を取り戻した。

  13. 1990年代のお笑い 劇場と深夜番組から出た「第三世代」がテレビの中心に座った新着No.6

    1980年代に世に出たとんねるず、ダウンタウン、ウッチャンナンチャンは、1990年代に自分たちの名前を冠したコント番組でゴールデンタイムの顔になり、「お笑い第三世代」と呼ばれた。90年代後半には『ボキャブラ天国』が若手のネタ見せの場となり、爆笑問題やネプチューンらが続いた。

  14. 1960〜70年代のお笑い 演芸ブームの公開番組から、動き回るコントの時代へ新着No.4

    1960年代、客席を入れて収録する演芸番組がテレビに並び、落語家、漫才師、トリオ、コミックバンドが一度に茶の間へ届いた。演芸ブームの中からコント55号とザ・ドリフターズが現れ、舞台を動き回るコントが土曜夜の主役になった。大阪では横山やすし・西川きよしが型破りな漫才で頭角を現した。

  15. 戦後のお笑い 焼け跡の寄席からラジオの風刺へ、そしてテレビの時代が始まった新着No.3

    焼け跡の東京と大阪で寄席が建て直され、ラジオでは風刺コントの『日曜娯楽版』が人気を集めた。1951年の民間ラジオ開局で漫才師の出番が増え、1953年にはテレビ放送が始まった。1959年には大阪でテレビ局の開局と同じ日に、のちの吉本新喜劇が幕を開けた。

  16. 大正・昭和戦前のお笑い 背広のしゃべくり漫才が生まれ、寄席の主役が入れ替わった新着No.2

    1912年に大阪で寄席経営を始めた吉本は、昭和に入ると落語より万才に力を入れ、1933年に「漫才」の字に統一した。横山エンタツ・花菱アチャコは背広姿で日常の話題をしゃべる漫才を始め、ラジオを通じて全国に知られた。ラジオは寄席の敵か味方か、興行の側も揺れた時代である。

  17. 江戸・明治のお笑い 辻噺が寄席になり、門付けの萬歳が寄席の芸に変わった新着No.1

    江戸時代の笑いは一人で語る話芸を中心に育ち、18世紀末に江戸で寄席が開かれて町の娯楽になった。明治には三遊亭圓朝の口演が速記本となって文章の書き方にまで影響し、大阪では玉子屋円辰が正月の門付け芸だった萬歳を寄席の掛け合いに作り替えた。

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