No.33新着 コント 浅草の幕間から土曜夜のテレビへ、そして賞レースへ
コントは役になりきり、衣装やセットを使って笑わせる寸劇である。戦前の軽演劇と戦後の浅草のストリップ劇場の幕間で磨かれ、1960年代後半からはコント55号とザ・ドリフターズがテレビの主役になった。テレビのコント番組は減っては増えを繰り返し、2008年に始まったキングオブコントが若手の目標になっている。
本文と出典
あらまし
コントはフランス語の conte(短い物語、寸劇)から来た言葉で、日本では笑わせるための寸劇を指す。漫才は役に入らず素の二人が会話で進めるのが原則だが、コントでは演者が役になりきり、衣装や小道具、セットを使う。もとは劇場の軽演劇で、戦後は浅草のストリップ劇場の幕間などで磨かれた。1960年代後半からテレビの主役になり、2008年に始まったキングオブコントが若手の「コント師」の目標になっている。
主なできごと
・1929年 榎本健一(エノケン)が浅草でカジノ・フォーリーを旗揚げする
・1951年 浅草にストリップ劇場のフランス座が開く
・1961年 『シャボン玉ホリデー』が始まる(1972年まで)。クレージーキャッツらがコントを演じる
・1966年 萩本欽一と坂上二郎がコント55号を結成する
・1969年 TBS系で『8時だョ!全員集合』が始まる(1985年まで)
・1973年 『全員集合』が視聴率50.5%を記録する(ビデオリサーチ、関東地区)
・1981年 フジテレビ系『オレたちひょうきん族』が『全員集合』の裏番組として台頭する
・1991年 『ダウンタウンのごっつええ感じ』が始まる(1997年まで)
・2008年 キングオブコントが始まる。初代王者はバッファロー吾郎
・2026年 第19回キングオブコントで審査員が7人に増え、ジェラードンが優勝する
劇場の幕間から生まれた型
戦前の浅草では、エノケンや古川ロッパが軽演劇で人気を競った。萩本欽一によれば、多くのコントは、エノケン一座で生まれた「仁丹」「天丼」「丸三角」などの基本形をもとにしているという。戦後、専業のコント芸人がまだいなかったころは、喜劇俳優のほか、クレージーキャッツやザ・ドリフターズのようなバンドマンもコントを演じた。
1951年に開いた浅草フランス座では、踊りの合間に短いコントを上演した。ここから渥美清、萩本欽一、坂上二郎、ビートたけしが出ており、無名時代の井上ひさしが座付き作者として台本を書いた。
コント55号とドリフ、正反対の作り方
コント55号は1966年、萩本が熱海の営業先で考えたコントを浅草松竹演芸場で披露したのが始まりである。坂上が善良な一般人を演じ、萩本が常識外れの人物になって振り回す。台本どおりには演じずアドリブが中心で、日劇に出たころから舞台を大きく動き回るようになった。1968年から69年にかけてテレビ出演が増えて人気の絶頂を迎え、作家の小林信彦は不条理コントとして評価している。コントの役割を漫才の「ボケとツッコミ」と区別して「フリとコナシ」と呼ぶことがあり、55号では萩本が振り、坂上がこなした。
ザ・ドリフターズは1956年にできたロカビリーバンドが前身で、1964年にいかりや長介がリーダーになり、1966年にはビートルズ来日公演の前座を務めた。『全員集合』は全国の公会堂などから公開生放送し、前半のコントでは回り舞台を使う大がかりなセットを組んだ。セットは30秒足らずで舞台脇に片付けられたという。笑いはアドリブではなく、練り上げた筋立てと稽古で作られた。1974年に志村けんが加わり、1977年にはフジテレビ系で『ドリフ大爆笑』も始まった。1978年に日本PTA全国協議会が「低俗」だとして放送中止を求めたが、視聴率にはほとんど影響しなかった。
テレビのコント番組の浮き沈み
1980年代から90年代初めには、『ひょうきん族』の「タケちゃんマン」のようなヒーローもののパロディが人気を集めた。1988年の『夢で逢えたら』以降は同世代の芸人がユニットを組むコント番組が増え、『ごっつええ感じ』や『笑う犬』シリーズ(1998〜2003年)が続いた。2001年にM-1グランプリが始まると漫才を中心にする芸人が増え、2006年ごろからはトーク中心の番組が好まれて、コント番組は減った。2019年ごろからは『有吉の壁』の影響もあり、民放でコント番組がまた増えたとされる。
キングオブコントは、初めは準決勝で敗れた芸人100人が審査したが、2015年からバナナマン、さまぁ〜ずらの5人の審査に変わり、2024年からは歴代王者だけで審査している。
なぜ受けたのか
コントは、言葉がわからなくても動きで笑える。土曜の夜に家族そろって見るテレビでは、子どもにも伝わる大きな動きと仕掛けが強みになった。『全員集合』の50.5%は、日本のバラエティ番組で最高とされる数字である。ただしテレビのコントには、セットと稽古に費用と時間がかかる。漫才やトークに押されて番組が減りやすいのは、この手間のためだと考えられる。
評価の分かれる点
「コント55号」の名付け親を萩本は浅草松竹演芸場の支配人だとするが、支配人本人は否定している。また、2019年ごろからのコント番組の復活に「お笑い第7世代」の台頭がどれだけ効いたのかは、見方が分かれる。
くらさんの考察
コント55号とドリフは、同じ時期に正反対の作り方で人気を得た。55号はその場のアドリブで坂上を追いつめ、ドリフは稽古を重ねた筋立てで同じ笑いを毎週確実に起こした。前者は生の舞台の緊張を、後者は家族全員が安心して笑える段取りの笑いを、テレビに持ち込んだと考えられる。今の賞レースのコントは、短い時間に設定と人物を作り込む点でドリフに近く、予想外の人物で見る人を振り回す点では55号に近い。
ジージへの問いかけ
・土曜の夜は『全員集合』と『ひょうきん族』のどちらを見ていましたか
・コント55号の、台本がないような動きは、当時どう見えましたか
・テレビで見るコントと劇場で見るコントでは、笑い方が違うと思いますか
出典
・ウィキペディア「コント」 https://ja.wikipedia.org/wiki/コント
・ウィキペディア「コント55号」 https://ja.wikipedia.org/wiki/コント55号
・ウィキペディア「ザ・ドリフターズ」 https://ja.wikipedia.org/wiki/ザ・ドリフターズ
・ウィキペディア「8時だョ!全員集合」 https://ja.wikipedia.org/wiki/8時だョ!全員集合
・ウィキペディア「浅草フランス座」 https://ja.wikipedia.org/wiki/浅草フランス座
・ウィキペディア「榎本健一」 https://ja.wikipedia.org/wiki/榎本健一
・ウィキペディア「キングオブコント」 https://ja.wikipedia.org/wiki/キングオブコント
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