賞レース・劇場と業界笑いはどこで生まれ、どう世に出るのか
若手が世に出る道は、寄席の前座修業から、テレビのオーディション、そして M-1 のような賞レースへと移ってきました。 賞レースの移り変わりと、寄席・劇場・芸能事務所・養成所・放送作家といった笑いを支える場と仕事についての資料です。
賞レース
- 上方漫才大賞からTHE SECONDまで 年齢や芸歴や性別で分けて競う、もう一つの賞No.54
M-1グランプリのほかにも、芸歴を問わない上方漫才大賞(1966年〜)、新人の登竜門のNHK新人演芸大賞(1956年〜)、女性芸人の大会THE W(2017年〜)、結成16年以上の漫才師の大会THE SECOND(2023年〜)がある。2025年のTHE Wはニッチェ、2026年のTHE SECONDはトットが優勝した。
登録 2026年10月23日 23:51
- R-1グランプリ 落語の「R」から始まった、ひとり芸の日本一決定戦No.53
R-1グランプリはひとりで演じる芸の大会で、2002年に「R-1ぐらんぷり」として始まった。2021年に名前を改めて出場者を芸歴10年以内に絞り、2024年にその制限を外した。2026年の第24回は過去最多の6,171人が参加し、今井らいぱちが優勝した。
登録 2026年10月23日 23:51
- キングオブコント 芸人が芸人を採点する、コントの日本一決定戦No.52
キングオブコントはTBSテレビが2008年に始めたコントの大会で、2人以上のグループならプロもアマチュアも出られる。審査は準決勝敗退者の採点から芸人審査員へ、さらに歴代王者だけの審査へと移り、2026年は審査員7人と初の敗者復活戦を取り入れた。2025年はロングコートダディ、2026年はジェラードンが優勝した。
登録 2026年10月23日 23:51
- M-1グランプリ 島田紳助と吉本の企画から、1万組を超える漫才師が目指す年末の大会へNo.51
M-1グランプリは2001年に島田紳助と吉本興業の谷良一が立ち上げた漫才の大会で、2010年にいったん終わり、2015年に結成15年以内へ資格を広げて復活した。2025年の第21回は11,521組が参加してたくろうが優勝し、2026年の第22回は過去最多の12,663組で予選が続いている。
登録 2026年10月23日 23:51
劇場と業界
- 放送作家とテレビ局 台本の外側で笑いを組み立てる裏方たちNo.74
放送作家は、ドラマ以外のテレビやラジオの番組で企画と構成を担う仕事である。1953年のテレビ放送の開始とともに、塚田茂や青島幸男らが番組を組み立て、のちに高田文夫、高須光聖、鈴木おさむらが芸人と組んで笑いの番組を作った。テレビ局のプロデューサーでは、フジテレビの横澤彪が漫才ブームを支えた。
登録 2026年10月23日 23:51
- 芸能事務所と養成所 弟子入りから学校へ、芸人の生まれ方が変わったNo.73
芸人は長く師匠への弟子入りで育ったが、1982年に吉本興業が養成所NSCを開いてから、学校で学んで事務所に入る道が広がった。松竹芸能、太田プロ、人力舎、ワタナベ、マセキなどの事務所もそれぞれ養成所や得意な芸を持ち、芸人の生まれ方は事務所ごとに色が違う。
登録 2026年10月23日 23:51
- 寄席と劇場 江戸の寄席から、なんばグランド花月とルミネtheよしもとまでNo.72
寄席は1798年に江戸で始まったとされ、いまも東京には鈴本演芸場、新宿末廣亭、浅草演芸ホール、池袋演芸場の4つの定席がある。大阪では2006年に天満天神繁昌亭が半世紀ぶりの落語の定席として開いた。漫才やコントの拠点は、吉本のなんばグランド花月(1987年)とルミネtheよしもと(2001年)である。
登録 2026年10月23日 23:51
- 吉本興業の歩み 天満の寄席一軒から、漫才と新喜劇とテレビの会社へNo.71
吉本興業は1912年、吉本吉兵衛とせいの夫婦が大阪天満の寄席を買い取って始まった。寄席を「花月」の名でまとめ、エンタツ・アチャコの漫才で客をつかみ、戦後は映画館経営を経て1959年に演芸へ戻った。2009年のTOBで上場をやめ、2019年に吉本興業ホールディングスとなった。
登録 2026年10月23日 23:51