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No.74新着 放送作家とテレビ局 台本の外側で笑いを組み立てる裏方たち

放送作家は、ドラマ以外のテレビやラジオの番組で企画と構成を担う仕事である。1953年のテレビ放送の開始とともに、塚田茂や青島幸男らが番組を組み立て、のちに高田文夫、高須光聖、鈴木おさむらが芸人と組んで笑いの番組を作った。テレビ局のプロデューサーでは、フジテレビの横澤彪が漫才ブームを支えた。

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登録日時
2026年10月23日 23:51
出典を確かめた日
2026年10月23日
分野
劇場と業界
立場
事実・データ
タグ
放送作家新着テレビ新着ラジオ新着
芸人・番組
塚田茂、青島幸男、高田文夫、横澤彪、高須光聖、鈴木おさむ
資料の種類
事典・概説
年代
1953年〜

本文と出典

あらまし

放送作家は、ドラマを除くテレビやラジオの番組で、企画を立て、全体の流れを組み立てる仕事である。
業界ではただ「作家」とも呼ばれる。
ディレクターなどの意向をくみながら番組の筋書きを作り、それが台本になって出演者やスタッフに配られる。
演芸番組のネタやクイズの問題を考えるのも仕事に入る。
物語の脚本を書く脚本家とは別の仕事である。

主なできごと

・1953年 2月1日にNHKが東京でテレビの本放送を始める。8月28日に日本テレビが民放で初めて放送を始める
・1955年 塚田茂がテレビの放送作家として活動を始める
・1961年 日本テレビで『シャボン玉ホリデー』が始まる(1972年まで)
・1968年 放送作家の青島幸男が参議院議員になる
・1970年代初め 塚田茂が企画制作集団「スタッフ東京」をつくる
・1973年 高田文夫が『ひらけ!ポンキッキ』で放送作家になる
・1980年 フジテレビの横澤彪が『THE MANZAI』で名を上げる
・1987年 高須光聖が『4時ですよーだ』で作家として出発する
・1995年 横澤彪がフジテレビを辞め、吉本興業に移る
・2024年 鈴木おさむが3月で放送作家の仕事をやめる

テレビの始まりと最初の作家たち

日本のテレビは、1953年2月1日にNHKが東京で本放送を始めたところから始まる。
最初の受信契約は866件で、1日の放送は4時間ほどだった。
同じ年の8月28日には、日本テレビが民放として初めて放送を始めた。
番組を毎週作るには、出演者の動きや話の流れを前もって組み立てる人が要る。
塚田茂は、日劇などで照明や演出をしていた経験を持ち、1955年からテレビの放送作家になった。
『シャボン玉ホリデー』『8時だョ!全員集合』『ザ・ベストテン』などの立ち上げや構成に関わり、1970年代初めには「スタッフ東京」をつくって後輩の作家を育てた。
『シャボン玉ホリデー』は、渡辺プロダクションが制作し、ザ・ピーナッツとハナ肇とクレージーキャッツを中心に、コントと歌とトークを組み合わせた番組である。
植木等が場違いな場面に出てきて去る「お呼びでない」のコントは、のちに多くの番組でまねされた。
青島幸男も放送作家として番組の構成や作詞を手がけ、「スーダラ節」などの詞を書いた。
1968年に参議院議員となり、1995年から1999年まで東京都知事を務めた。
タレント政治家の先駆けとされる人物である。

漫才ブームとテレビ局の作り手

1980年代のお笑い番組の裏には、作家とテレビ局のプロデューサーの組み合わせがあった。
フジテレビの横澤彪は1962年に入社し、1980年の『THE MANZAI』で頭角を現した。
『オレたちひょうきん族』と『森田一義アワー 笑っていいとも!』の初代プロデューサーとして、タモリ、ビートたけし、明石家さんまの人気を押し上げたとされる。
若いディレクターを育て、「ひょうきんディレクターズ」と呼ばれる顔ぶれも生まれた。
高田文夫は塚田茂のもとで学び、のちに破門されたが、スタッフ東京の立ち上げにも加わった。
1973年に『ひらけ!ポンキッキ』で作家になり、『オレたちひょうきん族』『ビートたけしのオールナイトニッポン』などを手がけた。
1983年には立川談志の一門に入り、立川藤志楼の名で落語家としても真打になっている。

芸人と組む作家たち

高須光聖は兵庫県尼崎市の出身で、浜田雅功とは同じ幼稚園、松本人志とは同じ小学校に通った。
松本の推薦で吉本興業に入り、1987年に『4時ですよーだ』で作家として出発した。
ダウンタウンが東京へ出てからは、『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』『ダウンタウンのごっつええ感じ』など、出演番組のほぼすべてに関わった。
鈴木おさむは高校2年のときに『夢で逢えたら』を見て放送作家を志し、大学に通いながら太田プロダクションで仕事を始めた。
『SMAP×SMAP』『めちゃ×2イケてるッ!』などを手がけ、2023年10月に、2024年3月で放送作家と文筆の仕事をやめると発表した。
作家を目指す人には、ワタナベコメディスクールの放送作家コースのように、養成所で学ぶ道もできている。

なぜ受けたのか

テレビのお笑いは、芸人の芸だけでなく、企画の枠組みがあってはじめて毎週続けられる。
作家が番組の流れを組み、プロデューサーが芸人の組み合わせと放送枠を決めることで、寄席や劇場の芸がテレビの番組になった。
高須とダウンタウンのように、幼なじみの作家が芸人の笑いを一番よく知る相棒になる例もある。

くらさんの考察

放送作家の名前は画面に出ることが少ないが、長く続いた笑いの番組の多くには、決まった作家やプロデューサーの組み合わせがある。
塚田茂からスタッフ東京を経て高田文夫へとつながるように、作家の世界にも師弟や一門に似た流れがあると考えられる。

ジージへの問いかけ

・『シャボン玉ホリデー』や『8時だョ!全員集合』を見ていた頃、番組の裏に作家がいることを意識していたでしょうか。
・笑いの番組で、芸人と作家のどちらの力が大きいと思いますか。
・青島幸男のように裏方から表に出た人を、ジージはどう見ていましたか。

出典

・ウィキペディア「放送作家」 https://ja.wikipedia.org/wiki/放送作家
・現代ビジネス「2月1日 NHKが東京地区でテレビ本放送開始(1953年)」 https://gendai.media/articles/-/59568
・ウィキペディア「日本テレビ放送網」 https://ja.wikipedia.org/wiki/日本テレビ放送網
・ウィキペディア「塚田茂」 https://ja.wikipedia.org/wiki/塚田茂
・ウィキペディア「シャボン玉ホリデー」 https://ja.wikipedia.org/wiki/シャボン玉ホリデー
・ウィキペディア「青島幸男」 https://ja.wikipedia.org/wiki/青島幸男
・ウィキペディア「横澤彪」 https://ja.wikipedia.org/wiki/横澤彪
・ウィキペディア「高田文夫」 https://ja.wikipedia.org/wiki/高田文夫
・ウィキペディア「高須光聖」 https://ja.wikipedia.org/wiki/高須光聖
・ウィキペディア「鈴木おさむ」 https://ja.wikipedia.org/wiki/鈴木おさむ
・ウィキペディア「ワタナベコメディスクール」 https://ja.wikipedia.org/wiki/ワタナベコメディスクール

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