No.72新着 寄席と劇場 江戸の寄席から、なんばグランド花月とルミネtheよしもとまで
寄席は1798年に江戸で始まったとされ、いまも東京には鈴本演芸場、新宿末廣亭、浅草演芸ホール、池袋演芸場の4つの定席がある。大阪では2006年に天満天神繁昌亭が半世紀ぶりの落語の定席として開いた。漫才やコントの拠点は、吉本のなんばグランド花月(1987年)とルミネtheよしもと(2001年)である。
本文と出典
あらまし
寄席は、落語、講談、浪曲、漫才、奇術などを見せる演芸の小屋である。
東京には、毎月休まず興行を続ける「定席」が4つ残っている。
大阪では落語の寄席がいったん絶え、2006年に天満天神繁昌亭が開いて復活した。
漫才やコントは、吉本興業のなんばグランド花月やルミネtheよしもとのような、劇場を拠点にしている。
主なできごと
・1798年 三笑亭可楽が江戸の下谷神社で、職業としての寄席を初めて開いたとされる
・1857年 鈴本演芸場の起こりとされる軍談席「本牧亭」が上野広小路に開く
・1897年 新宿末廣亭の前身「堀江亭」が開く
・1946年 戦災で焼けた末廣亭を北村銀太郎が再建
・1951年 浅草にストリップ劇場のフランス座が開き、幕あいにコントを見せる
・1957年 大阪の戎橋松竹が閉じ、大阪から落語の定席が消える
・1964年 フランス座を改めて浅草演芸ホールが開く
・1979年 国立演芸場が開く
・1987年 なんばグランド花月が開く
・2000年 フランス座が浅草フランス座演芸場東洋館として色物の寄席になる
・2001年 ルミネtheよしもとが新宿に開く
・2006年 大阪に天満天神繁昌亭が開く
・2023年 国立演芸場が建て替えのため閉じる
江戸の寄席から東京の4つの定席へ
寄席の始まりは18世紀で、1798年に三笑亭可楽が江戸の下谷神社で開いたものが、職業としての寄席の最初とされる。
その後、落語が寄席の中心になり、江戸の終わりにはおよそ700軒あったという見積もりもある。
天保の改革で数を制限され、明治以降は映画やラジオに客を取られて減っていった。
いま東京で定席と呼ばれるのは、鈴本演芸場、新宿末廣亭、浅草演芸ホール、池袋演芸場の4つである。
上野の鈴本演芸場は、1857年に開いた軍談席「本牧亭」を起こりとし、関東大震災のあとに今の場所に移った。
1984年に落語芸術協会が出演をやめ、それ以来、落語協会の番組だけを組んでいる。
新宿末廣亭は1897年の「堀江亭」が始まりで、戦災で焼けたあと1946年に再建された。
都内の定席でただ一つの木造の建物で、畳敷きの桟敷席があるのもここだけである。
寄席の番組では、落語が主で、漫才や奇術などは「色物」と呼ばれる。
最後に出る「トリ」は、ふつう一人前の落語家が務め、看板にいちばん大きな字で名前が書かれる。
席は自由席が多く、出入りはできないのがふつうである。
浅草の寄席とフランス座
浅草演芸ホールは1964年に開いた。
戦後の浅草に寄席がないことを惜しんだ二代目桂枝太郎の提案を、東洋興業の社長が受け入れ、ストリップ劇場のフランス座を寄席に改めた。
いまは落語協会と落語芸術協会が、上席、中席、下席を交互に受け持っている。
同じ建物のフランス座は、1951年の開業からストリップの幕あいにコントを見せていた。
萩本欽一は東洋劇場の研修生からフランス座に移り、ビートたけしはここでコント役者の深見千三郎に弟子入りし、ツービートを組むきっかけもここで得た。
1999年にストリップをやめ、2000年に浅草フランス座演芸場東洋館と名を改めて、漫才協会などが出る色物の寄席になった。
大阪の繁昌亭と吉本の劇場
大阪では、吉本興業が寄席の多くを握り、番組を漫才中心に変えた。
1957年に戎橋松竹が閉じてからは落語の定席がなくなり、2006年9月15日に天満天神繁昌亭が開いて、半世紀ぶりに大阪に寄席が戻った。
構想は、2003年に上方落語協会の会長になった桂三枝(いまの桂文枝)が天神橋筋商店街に場所の提供を頼んだことから始まった。
席数は216で、建設を支えた約4,500件の寄付者の名前が提灯に書かれている。
吉本の大阪の拠点、なんばグランド花月は1987年11月1日に開いた。
固定席858、補助席を入れて約900席あり、お笑いと喜劇の劇場として国内で最大級である。
吉本新喜劇の毎日の公演は、うめだ花月が閉じた翌日の1990年4月1日から始まった。
東京の拠点ルミネtheよしもとは2001年4月に新宿のルミネ2の7階に開いた。
458席と立ち見で、なんばグランド花月のほぼ半分の大きさである。
1990年代の銀座7丁目劇場や渋谷公園通り劇場が若い女性を主な客にしていたのに対し、幅広い年齢の客を集めることを目指した。
国の劇場では、1979年に国立演芸場(300席)が東京の隼町に開いた。
建て替えのため2023年10月に閉じ、2029年秋の再開を予定していたが、工事の入札が2度不成立となり、再開の時期は見えていない。
なぜ受けたのか
寄席は、入れ替わり立ち替わり違う芸人が出てくるので、一人の芸に飽きる前に次の芸が始まる。
吉本の劇場は、漫才と新喜劇を毎日見せることで、テレビで見た芸人に会える場所になった。
くらさんの考察
東京の寄席が落語を中心に残り、大阪の劇場が漫才と新喜劇を中心にしているのは、それぞれの土地で寄席を握った組織の違いが大きいと考えられる。
フランス座の幕あいのコントから萩本欽一やビートたけしが出たように、本筋でない場所が新しい笑いを生むこともある。
ジージへの問いかけ
・ジージが寄席や劇場に足を運んだことがあるとしたら、いちばん記憶に残っているのはどこでしょうか。
・テレビで見る芸と劇場で見る芸は、何が違うと思いますか。
・大阪の落語の寄席が半世紀も途絶えていたことを、どう思いますか。
出典
・ウィキペディア「寄席」 https://ja.wikipedia.org/wiki/寄席
・ウィキペディア「鈴本演芸場」 https://ja.wikipedia.org/wiki/鈴本演芸場
・ウィキペディア「新宿末廣亭」 https://ja.wikipedia.org/wiki/新宿末廣亭
・ウィキペディア「浅草演芸ホール」 https://ja.wikipedia.org/wiki/浅草演芸ホール
・ウィキペディア「浅草フランス座演芸場東洋館」 https://ja.wikipedia.org/wiki/浅草フランス座演芸場東洋館
・ウィキペディア「天満天神繁昌亭」 https://ja.wikipedia.org/wiki/天満天神繁昌亭
・ウィキペディア「なんばグランド花月」 https://ja.wikipedia.org/wiki/なんばグランド花月
・ウィキペディア「ルミネtheよしもと」 https://ja.wikipedia.org/wiki/ルミネtheよしもと
・ウィキペディア「国立演芸場」 https://ja.wikipedia.org/wiki/国立演芸場
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