吉本興業このタグの資料 18 本
- ダウンタウン NSC1期生が漫才とコントの「間」を変えた新着No.96
ダウンタウンは、吉本興業の養成所 NSC の1期生、松本人志と浜田雅功が1982年に組んだコンビである。ゆったりした間の漫才と、関係性で笑わせるコントで1990年代のテレビの笑いの中心になった。2024年に松本が週刊誌報道を受けて活動を休止し、2025年11月に有料配信「DOWNTOWN+」で再開したが、2026年10月に術後の体調から休養を続けると伝えている。
- 明石家さんま 落語家の弟子からテレビのしゃべりの頂点へ新着No.94
明石家さんま(1955〜)は笑福亭松之助に入門した落語家の出だが、形態模写とトークでテレビに活路を開き、『オレたちひょうきん族』で全国区になった。1999年には「日本で最も露出の多いテレビスター」としてギネス世界記録に認定された。70歳を過ぎた2026年も、関西と東京で冠番組の司会を続けている。
- 横山やすし・西川きよし 「やすきよ」が漫才の型を崩し、ブームの頂点に立った新着No.92
横山やすしと西川きよしは1966年に組んだ吉本興業の漫才コンビで、上方漫才大賞の大賞を4回受け、1980年代初めの漫才ブームでは東西のリーダー格だった。ボケとツッコミが途中で入れ替わる型破りの漫才は、後の世代に影響を与えたとされる。1986年のきよしの参院当選と、1989年のやすしの吉本解雇でコンビは事実上幕を下ろした。
- 吉本新喜劇の舞台 毎週の新作、土曜昼のテレビ中継、座長が週ごとに受け持つ仕組み新着No.86
吉本新喜劇は1959年3月1日、うめだ花月の開場とともに「吉本ヴァラエティ」として始まった喜劇の一座である。今はなんばグランド花月で毎週新作を上演し、毎日放送が土曜の昼に公演を放送している。脚本と上演は、座長が週ごとに受け持つ。
- ダウンタウンのごっつええ感じ 日曜8時にコントの連作を並べ、野球中継の差し替えで終わった新着No.85
フジテレビの『ダウンタウンのごっつええ感じ』は1991年12月から1997年11月まで日曜20時に放送された、ダウンタウンを中心とするコント番組である。最高視聴率は関東で24.2%、関西で28.0%に達したが、1997年9月のスペシャルがプロ野球中継に差し替えられたことをきっかけに終わった。
- 芸能事務所と養成所 弟子入りから学校へ、芸人の生まれ方が変わった新着No.73
芸人は長く師匠への弟子入りで育ったが、1982年に吉本興業が養成所NSCを開いてから、学校で学んで事務所に入る道が広がった。松竹芸能、太田プロ、人力舎、ワタナベ、マセキなどの事務所もそれぞれ養成所や得意な芸を持ち、芸人の生まれ方は事務所ごとに色が違う。
- 寄席と劇場 江戸の寄席から、なんばグランド花月とルミネtheよしもとまで新着No.72
寄席は1798年に江戸で始まったとされ、いまも東京には鈴本演芸場、新宿末廣亭、浅草演芸ホール、池袋演芸場の4つの定席がある。大阪では2006年に天満天神繁昌亭が半世紀ぶりの落語の定席として開いた。漫才やコントの拠点は、吉本のなんばグランド花月(1987年)とルミネtheよしもと(2001年)である。
- 吉本興業の歩み 天満の寄席一軒から、漫才と新喜劇とテレビの会社へ新着No.71
吉本興業は1912年、吉本吉兵衛とせいの夫婦が大阪天満の寄席を買い取って始まった。寄席を「花月」の名でまとめ、エンタツ・アチャコの漫才で客をつかみ、戦後は映画館経営を経て1959年に演芸へ戻った。2009年のTOBで上場をやめ、2019年に吉本興業ホールディングスとなった。
- R-1グランプリ 落語の「R」から始まった、ひとり芸の日本一決定戦新着No.53
R-1グランプリはひとりで演じる芸の大会で、2002年に「R-1ぐらんぷり」として始まった。2021年に名前を改めて出場者を芸歴10年以内に絞り、2024年にその制限を外した。2026年の第24回は過去最多の6,171人が参加し、今井らいぱちが優勝した。
- M-1グランプリ 島田紳助と吉本の企画から、1万組を超える漫才師が目指す年末の大会へ新着No.51
M-1グランプリは2001年に島田紳助と吉本興業の谷良一が立ち上げた漫才の大会で、2010年にいったん終わり、2015年に結成15年以内へ資格を広げて復活した。2025年の第21回は11,521組が参加してたくろうが優勝し、2026年の第22回は過去最多の12,663組で予選が続いている。
- 上方の笑いと東京の笑い 違いはどこにあり、どこまで言えるのか新着No.37
上方と東京の笑いには、落語の演出や身分制度、漫才の生まれた場所、喜劇の劇団の残り方など、資料で確かめられる違いがある。一方で「大阪の人はよく笑う」「関西人はユーモアがある」という見方は、心理学の調査では裏付けがはっきりしない。違いは芸の制度と歴史にあり、人の気質の違いとまでは言い切れない。
- 喜劇・新喜劇 曾我廼家とエノケンから、松竹新喜劇と吉本新喜劇へ新着No.35
芝居で笑わせる近代の喜劇は、1904年に大阪で旗揚げした曾我廼家五郎と十郎の一座に始まる。昭和の初めには浅草でエノケンとロッパの軽演劇が人気を競った。戦後の大阪では、人情喜劇の松竹新喜劇と、テレビ局の開局と同じ日に生まれた吉本新喜劇が並び立った。
- 漫才 祝いの門付け芸が、背広の二人のしゃべりに変わった新着No.32
漫才のもとは、家々を回って祝いの言葉を述べた萬歳である。1930年に横山エンタツ・花菱アチャコが背広姿でしゃべるだけの形を始め、1933年に吉本が「漫才」の字を使い始めた。ボケとツッコミは萬歳の二役に由来するとされ、今は会話のまま進むしゃべくりと、寸劇に入るコント漫才が並んでいる。
- 2000年以降のお笑い 賞レースとネタ番組が若手を押し上げ、笑いの舞台は配信にも広がった新着No.7
2001年に始まったM-1グランプリを皮切りに、漫才、コント、ピン芸の賞レースが年中行事になり、2000年代にはネタ番組のブームも起きた。2010年代後半から芸人の活動はYouTubeや有料配信に広がり、M-1グランプリの出場者数は2025年、2026年と続けて過去最多を更新した。
- 1990年代のお笑い 劇場と深夜番組から出た「第三世代」がテレビの中心に座った新着No.6
1980年代に世に出たとんねるず、ダウンタウン、ウッチャンナンチャンは、1990年代に自分たちの名前を冠したコント番組でゴールデンタイムの顔になり、「お笑い第三世代」と呼ばれた。90年代後半には『ボキャブラ天国』が若手のネタ見せの場となり、爆笑問題やネプチューンらが続いた。
- 1980年代のお笑い 漫才ブームが若者を客席に呼び、たけし、さんま、タモリの時代が来た新着No.5
1980年、フジテレビの『THE MANZAI』などをきっかけに漫才ブームが起き、若い客が漫才師をアイドルのように迎えた。ブームは2年ほどで落ち着いたが、そこから出たビートたけしや明石家さんまは『オレたちひょうきん族』で個人の芸人として人気を広げ、タモリは昼の生放送の顔になった。
- 戦後のお笑い 焼け跡の寄席からラジオの風刺へ、そしてテレビの時代が始まった新着No.3
焼け跡の東京と大阪で寄席が建て直され、ラジオでは風刺コントの『日曜娯楽版』が人気を集めた。1951年の民間ラジオ開局で漫才師の出番が増え、1953年にはテレビ放送が始まった。1959年には大阪でテレビ局の開局と同じ日に、のちの吉本新喜劇が幕を開けた。
- 大正・昭和戦前のお笑い 背広のしゃべくり漫才が生まれ、寄席の主役が入れ替わった新着No.2
1912年に大阪で寄席経営を始めた吉本は、昭和に入ると落語より万才に力を入れ、1933年に「漫才」の字に統一した。横山エンタツ・花菱アチャコは背広姿で日常の話題をしゃべる漫才を始め、ラジオを通じて全国に知られた。ラジオは寄席の敵か味方か、興行の側も揺れた時代である。
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