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No.5新着 1980年代のお笑い 漫才ブームが若者を客席に呼び、たけし、さんま、タモリの時代が来た

1980年、フジテレビの『THE MANZAI』などをきっかけに漫才ブームが起き、若い客が漫才師をアイドルのように迎えた。ブームは2年ほどで落ち着いたが、そこから出たビートたけしや明石家さんまは『オレたちひょうきん族』で個人の芸人として人気を広げ、タモリは昼の生放送の顔になった。

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登録日時
2026年10月23日 23:51
出典を確かめた日
2026年10月23日
分野
1980年代
立場
くらさんの考察
タグ
漫才新着コント新着ピン芸新着テレビ新着ラジオ新着東京新着上方新着吉本興業新着数字・統計新着
芸人・番組
ビートたけし、明石家さんま、タモリ、横澤彪、THE MANZAI、オレたちひょうきん族
資料の種類
事典・概説
年代
1980〜1989年

本文と出典

あらまし

1980年、テレビの漫才番組が相次いで高い視聴率を取り、「漫才ブーム」が起きた。
客席を若者で埋めたフジテレビの『THE MANZAI』は、ツービートやB&B、島田紳助・松本竜介らを人気者にした。
ブームは2年ほどで静まったが、芸人たちは漫才を離れて『オレたちひょうきん族』に移り、1985年には裏番組の『8時だョ!全員集合』を終わらせるまでになった。
1982年には『笑っていいとも!』が始まり、吉本は芸人を育てる学校を大阪に開いた。
1980年代の終わりには、ビートたけし、明石家さんま、タモリの三人が「お笑いBIG3」と呼ばれるようになった。

主なできごと

・1980年1月20日 関西テレビの『花王名人劇場』の「激突!漫才新幹線」が関西で視聴率27.2%を取る
・1980年4月 『お笑いスター誕生!!』が始まる
・1980年4月1日 フジテレビで『THE MANZAI』の第1回が放送される(1982年6月まで計11回)
・1981年1月1日 ニッポン放送で『ビートたけしのオールナイトニッポン』が始まる
・1981年5月 フジテレビで『オレたちひょうきん族』が特番として始まる(10月からレギュラー)
・1982年4月 吉本総合芸能学院(NSC)が大阪で開校し、1期生にダウンタウンらがいた
・1982年5月 この頃までに漫才ブームが静まったとされる
・1982年10月4日 フジテレビで『森田一義アワー 笑っていいとも!』が始まる
・1982年10月9日 『ひょうきん族』が視聴率で初めて『全員集合』を上回る
・1985年9月28日 『8時だョ!全員集合』が終わる
・1986年12月9日 ビートたけしらが講談社の写真週刊誌の編集部を襲い、現行犯逮捕される
・1987年 三人が出るゴルフの特番を機に「BIG3」の呼び名が付く
・1989年10月14日 『オレたちひょうきん族』が終わる

THE MANZAIと漫才ブーム

ブームの口火は関西で切られた。
1980年1月の「激突!漫才新幹線」が関西で27.2%を取り、同じ年の4月にフジテレビの『THE MANZAI』が始まった。
横澤彪がプロデューサーを務めたこの番組は、それまでの演芸番組の形を捨て、若手の漫才師を中心に起用し、客席を若者に限り、派手な舞台セットを組んだ。
7月の第3回は関東で27.0%を取り、銀座から生中継した第5回は関東32.6%、関西45.6%に達した。
ブームの中心はB&B、ツービート、紳助・竜介の三組とされ、客層が変わって若い女性のファンが増え、漫才師はアイドルに近い人気を得た。
ツービートは時事を扱う毒の強いネタで知られ、ビートたけしは1981年元日からラジオの深夜放送も受け持った。

ひょうきん族と個人の芸

ブームが静まると、多くの芸人は漫才を続けず、コントやバラエティへ移った。
その受け皿になったのが、1981年に始まった『オレたちひょうきん族』である。
番組は早い段階で漫才や一般客の入るコーナーをやめ、客を入れずに録音の笑い声を使う形に移った。
アドリブや楽屋落ちを重んじ、スタッフまで笑いの種にした作りは、台本どおりに作り込む『全員集合』とは逆であった。
出演者はグループではなく一人ひとりで笑いを取る方針で、ビートたけしの「タケちゃんマン」や明石家さんまの扮する役が名物になった。
1982年10月に初めて『全員集合』を上回り、1985年9月に相手を終了に追い込んだ。

タモリとさんま

タモリは赤塚不二夫に見いだされて1975年から芸能活動を始め、動物の物まねやでたらめの外国語で四人分の麻雀を演じる「密室芸」で知られた。
1982年10月に始まった『笑っていいとも!』では、新宿のスタジオアルタから毎日、客を入れて生放送の司会を務め、番組は2014年3月まで8054回続いた。
明石家さんまは1974年に笑福亭松之助に入門し、1980年から関西の『ヤングおー!おー!』の司会を務めた。
1980年代半ばからは司会が主な仕事になり、相手の言葉を拾って笑いに変える話芸で知られるようになった。

なぜ受けたのか

漫才ブームが若者に受けたのは、番組が最初から若者向けに作られていたからである。
客席を若者に限り、舞台を派手にした『THE MANZAI』は、演芸を年配の人の娯楽から若者の流行に変えた。
ブームについて、芸そのものより芸人の「キャラクター」が受けたという評もあり、それが漫才を離れた後も芸人が人気を保てた理由と考えられる。
『ひょうきん族』は高校生や大学生を主な視聴者に想定し、家族向けの『全員集合』との違いを打ち出した。

評価の分かれる点

漫才ブームの長さは、1、2年で衰えたとする見方と、2年続いたことを長いと見る元記者の評価がある。
ブームの火付け役も、『THE MANZAI』とする見方、「激突!漫才新幹線」とする見方、1980年4月に始まった『お笑いスター誕生!!』とする見方が並ぶ。
「BIG3」の呼び名は、ゴルフ特番から生まれたとする記述と、フジテレビが提唱したとする記述があり、両者が同じことを指しているかは確かめきれていない。

くらさんの考察

1980年代は、芸人が「芸の型」より「その人自身」で見られるようになった時代と考えられる。
漫才ブームでは二人一組の芸が注目されたが、その後の『ひょうきん族』『いいとも』では、一人ひとりの人柄や切り返しが笑いの中心に置かれた。
1982年に吉本が師匠に弟子入りしなくても芸人を目指せる学校を開いたことも、芸の受け継ぎ方が変わり始めたことの表れである。

ジージへの問いかけ

・漫才ブームの頃、ジージは20代後半でしたが、ツービートやB&Bを当時どう見ていたでしょうか。
・『全員集合』と『ひょうきん族』は、ジージの家ではどちらがついていましたか。
・昼の『笑っていいとも!』を、仕事の合間に見ることはありましたか。

出典

・ウィキペディア「漫才ブーム」 https://ja.wikipedia.org/wiki/漫才ブーム
・ウィキペディア「THE MANZAI (1980年代のテレビ番組)」 https://ja.wikipedia.org/wiki/THE_MANZAI_(1980年代のテレビ番組)
・ウィキペディア「オレたちひょうきん族」 https://ja.wikipedia.org/wiki/オレたちひょうきん族
・ウィキペディア「8時だョ!全員集合」 https://ja.wikipedia.org/wiki/8時だョ!全員集合
・ウィキペディア「森田一義アワー 笑っていいとも!」 https://ja.wikipedia.org/wiki/森田一義アワー_笑っていいとも!
・ウィキペディア「タモリ」 https://ja.wikipedia.org/wiki/タモリ
・ウィキペディア「明石家さんま」 https://ja.wikipedia.org/wiki/明石家さんま
・ウィキペディア「ビートたけし」 https://ja.wikipedia.org/wiki/ビートたけし
・ウィキペディア「吉本総合芸能学院」 https://ja.wikipedia.org/wiki/吉本総合芸能学院

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