No.51新着 M-1グランプリ 島田紳助と吉本の企画から、1万組を超える漫才師が目指す年末の大会へ
M-1グランプリは2001年に島田紳助と吉本興業の谷良一が立ち上げた漫才の大会で、2010年にいったん終わり、2015年に結成15年以内へ資格を広げて復活した。2025年の第21回は11,521組が参加してたくろうが優勝し、2026年の第22回は過去最多の12,663組で予選が続いている。
本文と出典
あらまし
M-1グランプリは、結成15年以内の漫才師が日本一を争う大会である。
主催はM-1グランプリ事務局、吉本興業、朝日放送(ABCテレビ)で、決勝はABCテレビとテレビ朝日系列で全国に生放送される。
第1回は2001年で、2010年の第10回でいったん終わり、2015年に復活した。
2025年の第21回は再エントリーを含めて11,521組が参加し、たくろうが優勝した。
2026年の第22回は、10月の発表で過去最多の12,663組が参加しており、12月の決勝に向けて予選が続いている。
主なできごと
・2001年 第1回。参加1,603組、優勝は中川家。出場資格は結成10年未満
・2002年 敗者復活戦を始める。優勝はますだおかだ
・2003年 出場資格を「結成10年以内」に改める
・2008年 視聴率が関東23.7%、関西35.0%と、記録の中で最も高くなる。優勝はNON STYLE
・2010年 第10回で終了。優勝は笑い飯
・2014年 7月30日、朝日放送の社長が翌年の復活を発表
・2015年 第11回で復活。出場資格を結成15年以内に広げる。優勝はトレンディエンジェル
・2023年 敗者復活戦を屋内のブロック対戦にし、芸人審査員の投票で決める形に変える
・2024年 令和ロマンが前年に続いて優勝し、2年連続の王者になる
・2025年 第21回。参加11,521組、決勝は12月21日。優勝はたくろう
・2026年 第22回。8月1日に開幕し、参加12,663組で過去最多
始まりのいきさつ
企画したのは島田紳助と、吉本興業の社員だった谷良一である。
吉本の木村政雄が漫才の賞をつくる「MANZAIプロジェクト」を立ち上げ、谷をそのリーダーにした。
吉本が求めていたのは、B&B、ツービート、横山やすし・西川きよしのように、かつての漫才ブームを引っ張った実力者を新しく見つけることだった。
優勝賞金1,000万円とゴールデンタイムの全国放送は紳助の提案である。
谷はスポンサー探しに苦労したが、オートバックスセブンの社長だった住野公一が冠スポンサーを引き受けた。
審査と持ち時間の移り変わり
第1回の決勝は1,000点満点で、特別審査員7人に加え、大阪、福岡、札幌の劇場にいた一般客300人(各都市100人、1人1点)が採点した。
その後は7人か9人の審査員による採点に落ち着いた。
1本目の上位3組が最終決戦に進み、審査員がいちばん面白かった組に1票ずつ入れて王者を決める。
ネタの時間は決勝、準決勝、準々決勝、敗者復活戦が4分で、1回戦は2分、2回戦と3回戦は3分である。
敗者復活戦は第2回から続いている。
初めのうちは決勝会場の近くに特設会場を設け、勝ち上がった組がそのまま決勝に加わった。
2015年からは六本木ヒルズアリーナで行い、視聴者の投票で勝者を決めた。
2023年からは屋内のブロック対戦になり、芸人の審査員が投票する形に変わった。
2010年の終了について、吉本は「10年の節目をもって発展的解消」と説明し、紳助も10年で終えないと盛り下がると話した。
復活が決まったときは、フジテレビの『THE MANZAI』と重ならないよう夏の開催が考えられていたが、『THE MANZAI』が賞レースをやめたため、元の12月に戻った。
資格が結成15年以内に広がったことで、10年を過ぎて出られなくなっていたコンビにもう一度挑む道が開けた。
歴代王者の流れ
2001〜2010年の王者は、中川家、ますだおかだ、フットボールアワー、アンタッチャブル、ブラックマヨネーズ、チュートリアル、サンドウィッチマン、NON STYLE、パンクブーブー、笑い飯である。
2015年からは、トレンディエンジェル、銀シャリ、とろサーモン、霜降り明星、ミルクボーイ、マヂカルラブリー、錦鯉、ウエストランド、令和ロマン(2023年と2024年)、たくろうと続く。
歴代王者の一覧で2年続けて優勝したのは、令和ロマンだけである。
2025年の決勝には、敗者復活戦を勝ち上がったカナメストーンを含む10組が進んだ。
最終決戦はたくろう、ドンデコルテ、エバースの3組で争われ、審査員9人のうち8人がたくろうに票を入れた。
たくろうは吉本興業に所属している。
参加組数は第1回の1,603組から2025年の11,521組まで、7倍あまりに増えた。
なぜ受けたのか
賞金1,000万円と年末のゴールデンタイムの生放送という組み合わせは、若手の漫才師にとって、一夜で全国に名前が知られる機会になった。
持ち時間が4分と短く、一組ずつ点数がついてその場で順位が動くので、漫才を見慣れていない視聴者にも勝ち負けの筋が追いやすい。
審査員がプロの芸人であることも、点数の差を「なぜそうなったか」という話題に変え、放送後まで語られる材料になったと考えられる。
くらさんの考察
敗者復活戦の決め方は、現地の審査、視聴者投票、芸人審査と何度も変わってきた。
これは「誰が面白さを決めるのか」という問いに、大会自身がまだ一つの答えを出していないことの表れと考えられる。
また、参加組数が伸び続けているのは、決勝に残れなくても、予選の様子が配信や報道で取り上げられ、挑むこと自体が芸人の活動の一部になってきたためとも考えられる。
1980年の漫才ブームの担い手を探すという始まりの狙いに比べると、今は一組のスターを探すことに加えて、漫才師の層そのものを厚くする場にもなっていると考えられる。
ジージへの問いかけ
・1980年の漫才ブームを見てきたジージには、M-1の決勝の漫才は、B&Bやツービートの頃と比べて何が違って見えるでしょうか。
・4分で点数を競う形は、漫才の作り方そのものを変えたと思いますか。
・結成15年以内のM-1と、16年以上のTHE SECONDという分け方を、どう見ますか。
出典
・ウィキペディア「M-1グランプリ」 https://ja.wikipedia.org/wiki/M-1グランプリ
・ウィキペディア「M-1グランプリ2025」 https://ja.wikipedia.org/wiki/M-1グランプリ2025
・M-1グランプリ公式サイト https://www.m-1gp.com/
・秋田魁新報(オリコン配信)「『M-1グランプリ2026』過去最多のエントリー数を記録」 https://www.sakigake.jp/news/article/20261004OR0022/
この記事を読んで浮かんだ疑問は、運営者ジージがお笑いQAでくらさんに質問し、答えをそこに載せていきます。