喜劇・新喜劇このタグの資料 7 本
- 吉本新喜劇の舞台 毎週の新作、土曜昼のテレビ中継、座長が週ごとに受け持つ仕組み新着No.86
吉本新喜劇は1959年3月1日、うめだ花月の開場とともに「吉本ヴァラエティ」として始まった喜劇の一座である。今はなんばグランド花月で毎週新作を上演し、毎日放送が土曜の昼に公演を放送している。脚本と上演は、座長が週ごとに受け持つ。
- 吉本興業の歩み 天満の寄席一軒から、漫才と新喜劇とテレビの会社へ新着No.71
吉本興業は1912年、吉本吉兵衛とせいの夫婦が大阪天満の寄席を買い取って始まった。寄席を「花月」の名でまとめ、エンタツ・アチャコの漫才で客をつかみ、戦後は映画館経営を経て1959年に演芸へ戻った。2009年のTOBで上場をやめ、2019年に吉本興業ホールディングスとなった。
- 上方の笑いと東京の笑い 違いはどこにあり、どこまで言えるのか新着No.37
上方と東京の笑いには、落語の演出や身分制度、漫才の生まれた場所、喜劇の劇団の残り方など、資料で確かめられる違いがある。一方で「大阪の人はよく笑う」「関西人はユーモアがある」という見方は、心理学の調査では裏付けがはっきりしない。違いは芸の制度と歴史にあり、人の気質の違いとまでは言い切れない。
- 喜劇・新喜劇 曾我廼家とエノケンから、松竹新喜劇と吉本新喜劇へ新着No.35
芝居で笑わせる近代の喜劇は、1904年に大阪で旗揚げした曾我廼家五郎と十郎の一座に始まる。昭和の初めには浅草でエノケンとロッパの軽演劇が人気を競った。戦後の大阪では、人情喜劇の松竹新喜劇と、テレビ局の開局と同じ日に生まれた吉本新喜劇が並び立った。
- 1960〜70年代のお笑い 演芸ブームの公開番組から、動き回るコントの時代へ新着No.4
1960年代、客席を入れて収録する演芸番組がテレビに並び、落語家、漫才師、トリオ、コミックバンドが一度に茶の間へ届いた。演芸ブームの中からコント55号とザ・ドリフターズが現れ、舞台を動き回るコントが土曜夜の主役になった。大阪では横山やすし・西川きよしが型破りな漫才で頭角を現した。
- 戦後のお笑い 焼け跡の寄席からラジオの風刺へ、そしてテレビの時代が始まった新着No.3
焼け跡の東京と大阪で寄席が建て直され、ラジオでは風刺コントの『日曜娯楽版』が人気を集めた。1951年の民間ラジオ開局で漫才師の出番が増え、1953年にはテレビ放送が始まった。1959年には大阪でテレビ局の開局と同じ日に、のちの吉本新喜劇が幕を開けた。
- 大正・昭和戦前のお笑い 背広のしゃべくり漫才が生まれ、寄席の主役が入れ替わった新着No.2
1912年に大阪で寄席経営を始めた吉本は、昭和に入ると落語より万才に力を入れ、1933年に「漫才」の字に統一した。横山エンタツ・花菱アチャコは背広姿で日常の話題をしゃべる漫才を始め、ラジオを通じて全国に知られた。ラジオは寄席の敵か味方か、興行の側も揺れた時代である。
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