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No.228新着 ザ・ドリフターズ ジャズバンドから始まり、何度も顔ぶれを替えながら、いかりや長介のもとでコントグループになった

ザ・ドリフターズは、1956年に発足したバンドを前身とし、リーダーと顔ぶれを替えながら、1964年に「ザ・ドリフターズ」の名で再出発したグループである。ジャズやコミックバンドの色が強い時期を経て、1960年代後半からコントを主にし、いかりや長介が采配を振るった。ウィキペディアと報道を開いて確かめた範囲だけを書き、資料どうしで年がずれる点は本文に示す。

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登録日時
2026年11月2日 18:21
出典を確かめた日
2026年11月2日
分野
芸人と作り手
立場
事実・データ
タグ
コント新着テレビ新着東京新着喜劇・新喜劇新着
芸人・番組
ザ・ドリフターズ、いかりや長介、桜井輝夫、荒井注、志村けん、加藤茶、高木ブー、仲本工事
資料の種類
事典・概説
年代
1956〜2022年

本文と出典

あらまし

ザ・ドリフターズは、いかりや長介をリーダーとし、加藤茶、高木ブー、荒井注、仲本工事の5人で知られるコントグループである。ただし最初からコントの集団だったわけではない。ウィキペディアによれば、1956年にマウンテンボーイズと東京ウエスタンボーイズが合併して「サンズ・オブ・ドリフターズ」ができ、これが前身にあたる。つまり、はじまりは楽器を持った音楽のバンドである。
当サイトには番組そのものを扱った「8時だョ!全員集合」の記事がある。この記事では番組の中身より、グループがどうできあがったかと、中心にいた人の動きを中心に書く。

主なできごと

・1956年 マウンテンボーイズと東京ウエスタンボーイズが合併し、サンズ・オブ・ドリフターズが発足(初代リーダーは岸部清)
・1958年 桜井輝夫が加入し、「井上ひろしとドリフターズ」に改名
・1959年 桜井輝夫が2代目リーダーに。多くのメンバーが抜けて、一時は解散の危機になる
・1962年 桜井が、いかりや長介(当時の表記は碇矢長一)を迎える。加藤茶も加入
・1963年 いかりやがリーダーになったとする資料がある(別の資料では1964年ごろ)
・1964年 小野ヤスシらが抜けてドンキーカルテットを結成。9月に高木ブーと荒井注が加わり、「ザ・ドリフターズ」と改称
・1965年 仲本工事が加入。この年から1974年3月までが、いかりや・加藤・高木・荒井・仲本の5人
・1966年 6月30日と7月1日、ビートルズ来日公演に出演
・1969年 10月4日、「8時だョ!全員集合」が始まる
・1974年 荒井注が抜け、志村けんが加わる
・1985年 「8時だョ!全員集合」が終わる
・2004年 3月20日、いかりや長介が72歳で死去
・2020年 3月29日、志村けんが70歳で死去
・2022年 10月19日、仲本工事が81歳で死去

くわしく バンドの時代

ウィキペディアは、ドリフターズの前身が複数のバンドの合併でできたことと、リーダーが何度も替わったことを記す。初代は岸部清、2代目は桜井輝夫で、いかりや長介は3代目のリーダーにあたるとする記述もある。
1959年には多くのメンバーが抜けて危機を迎えた。残った桜井らが組み直し、1962年に桜井がいかりやを迎えた。この時期のグループは、歌と演奏が看板のバンドで、笑いは付け足しの要素だった。ウィキペディアは、桜井がリーダーの頃からコミックバンドの要素が入り始めたと読める書き方をしている。

くわしく 1964年の再出発

1964年は、グループの顔ぶれが大きく替わった年である。いかりやの項目によれば、いかりやと対立した小野ヤスシら4人が抜け、いかりやのリーダー体制が続いた。ドリフターズの項目では、同年9月に高木ブーと荒井注が加わり、「ザ・ドリフターズ」という名になった。この年を結成の年とする見方が一般的だと、同項目は注記している。
資料どうしの食い違いも残っている。いかりやがリーダーになった年は、ドリフターズの項目では1963年に名目上のリーダー、1964年ごろに正式なリーダーとし、いかりやの項目は1963年に桜井と交代したと書く。週刊現代の記事は「64年からリーダー」とする。このため、本稿はリーダー就任を1963〜64年と幅を持たせて書く。

くわしく コントへの転換

ドリフターズの項目によれば、1964年9月の改名のころからコントグループとしての活動に移り、1969年ごろまでは主にバンド、それ以降は主にコントグループだった。全員集合の前にも、「ホイホイ・ミュージック・スクール」(1962年〜)、「大正テレビ寄席」(1963年〜)、「あなた出番です!」(1966年〜)、「ドリフターズ大作戦」(1969年)などの番組に出ている。
転換が誰か一人の発案だったかについて、この項目は特定の人物の名を挙げていない。いかりやが寄席やキャバレーの芸人の芸を研究し、それがグループの方針につながったという記述はある。
1966年にはビートルズの来日公演に出た。同項目は出演時間を「1分15秒」と記す。短い出番だったが、メインステージでの演奏だったという。

くわしく いかりや長介の役割

いかりやの項目は、コントの打ち合わせを放送の2日前の木曜日に開く「木曜会議」を紹介する。ネタはいかりやを中心に決まり、本人が思いつくまで全員が黙っていることも多かった。作家の案が「つまらない」と退けられることもあり、加藤茶は、自分たちの案のほうが客に受けたと語っている。
同項目はまた、いかりやが志村けんの、ネタを作る力と積極性を評価し、正式メンバーに上げたとも書く。志村はもともと付き人だった。荒井注が1974年に抜け、志村が加わった交代は、全員集合の放送中に起きている。

くわしく その後と訃報

全員集合は1985年に終わった。いかりやは2004年3月20日に、東京慈恵会医科大学附属病院で72歳で亡くなった。死因は癌の転移とされる。
志村けんは2020年3月29日午後11時10分、東京都内の病院で死去した。オリコンは、新型コロナウイルスに感染して肺炎を起こし、入院して治療を受けていたと伝え、年齢を70歳とした。
仲本工事は2022年10月19日午後10時22分に亡くなった。デイリースポーツによれば81歳で、死因は急性硬膜下血腫である。18日午前に横浜市西区で道路を横断中に車にはねられ、手術を受けていた。同記事は、仲本が高木ブーの誘いで1965年に加入したとも書く。

なぜ受けたのか

確かめられた資料から言えるのは、次の点である。
第一に、バンドとして演奏の力を持っていた。
第二に、全員集合の前にも、音楽番組や演芸番組、コント番組へ出て、テレビに慣れていった。
第三に、打ち合わせでいかりやが全体を決める進め方があった。ウィキペディアは、アドリブに頼らず筋を作り込むことを重んじたと整理している。受けた理由そのものを分析した資料は、今回開いたものには見当たらなかった。

評価の分かれる点

グループの結成年が1956年なのか1964年なのかは、見方による。前身の発足を数えれば1956年、現在の名と顔ぶれで数えれば1964年になる。ドリフターズの項目は1964年を結成とする見方が一般的だとする。
また、いかりやのリーダー就任が1963年か1964年かも、資料によって違う。志村の正式加入の日付についても、ドリフターズの項目に複数の日が併記されていると注記があり、本稿では「1974年」とだけ書いた。

くらさんの考察

バンドから始まり、リーダーも顔ぶれも何度も替わったグループが、1964年の再出発のあとで同じ5人の形を長く保ったことは、不思議な流れだと考えられる。1960年代のうちに音楽から笑いへ重心が移った背景には、テレビ番組への出演が増えたことがあるのではないか、というのが考察である。ただし、これは資料が直接述べた理由ではない。
ネタの決定権をいかりやが握る一方で、加藤茶の発言のように、メンバーが自分の案を出し続けたことも書かれている。采配と各自の案が混ざっていたと考えられるが、現場の実際は手元の資料からは分からない。

ジージへの問いかけ

・ジージが子どもや若者の頃、ドリフターズは「バンドの人たち」と「コントの人たち」のどちらの印象が強かったでしょうか。
・荒井注から志村けんに替わった1974年のとき、周りの空気はどうだったか覚えていますか。
・いかりや長介を「怖いリーダー」と見ていたでしょうか。それとも「まとめ役」と見ていたでしょうか。

出典

・ザ・ドリフターズ(ウィキペディア) https://ja.wikipedia.org/wiki/ザ・ドリフターズ
・いかりや長介(ウィキペディア) https://ja.wikipedia.org/wiki/いかりや長介
・オィーッス!元気がないな、もう一丁!「いかりや長介」を語ろう(週刊現代) https://gendai.media/articles/-/53322
・志村けんさん死去(オリコン) https://www.oricon.co.jp/news/2158656/full/
・仲本工事さん死去 急性硬膜下血腫 81歳(デイリースポーツ) https://www.daily.co.jp/gossip/2022/10/20/0015737752.shtml

動画

・令和世代も楽しめる昭和の爆笑コントが盛りだくさん!『復活!! 8時だョ!全員集合』10/13(月)【TBS】(TBS公式 YouTuboo)https://www.youtube.com/watch?v=gX166O6S6hE

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