芸人と作り手
1947〜2015年
No.91新着 桂米朝 滅びかけた上方落語を、古老の聞き書きとホール落語で立て直した
登録 2026年10月23日 23:51
3代目桂米朝(1925〜2015)は、戦後に衰えていた上方落語を、文献と古老からの聞き取りで演目を掘り起こし、独演会やホール落語で客を育てて立て直した落語家である。1996年に人間国宝、2009年に落語家として初めて文化勲章を受けた。研究者としての仕事と、演者としての仕事が一人の中で結びついていた点に特色がある。
1966〜1989年
No.92新着 横山やすし・西川きよし 「やすきよ」が漫才の型を崩し、ブームの頂点に立った
登録 2026年10月23日 23:51
横山やすしと西川きよしは1966年に組んだ吉本興業の漫才コンビで、上方漫才大賞の大賞を4回受け、1980年代初めの漫才ブームでは東西のリーダー格だった。ボケとツッコミが途中で入れ替わる型破りの漫才は、後の世代に影響を与えたとされる。1986年のきよしの参院当選と、1989年のやすしの吉本解雇でコンビは事実上幕を下ろした。
1972〜2026年
No.93新着 ビートたけし 浅草の毒舌漫才から深夜ラジオ、そして世界の映画監督へ
登録 2026年10月23日 23:51
ビートたけし(北野武、1947〜)は浅草フランス座で修業し、ツービートの毒舌漫才で1980年の漫才ブームの中心に立った。ブーム後は深夜ラジオとテレビのバラエティで笑いの主役になり、1989年からは映画監督として『HANA-BI』でヴェネツィア国際映画祭の金獅子賞を受けた。2026年も討論番組の司会を続けている。
1974〜2026年
No.94新着 明石家さんま 落語家の弟子からテレビのしゃべりの頂点へ
登録 2026年10月23日 23:51
明石家さんま(1955〜)は笑福亭松之助に入門した落語家の出だが、形態模写とトークでテレビに活路を開き、『オレたちひょうきん族』で全国区になった。1999年には「日本で最も露出の多いテレビスター」としてギネス世界記録に認定された。70歳を過ぎた2026年も、関西と東京で冠番組の司会を続けている。
1975〜2026年
No.95新着 タモリ 密室芸のアングラ芸人が、昼の生放送を32年近く続けた
登録 2026年10月23日 23:51
タモリ(森田一義、1945〜)は、ジャズ仲間の間で知られた素人芸を赤塚不二夫に見いだされ、1975年に上京した。デタラメ外国語や形態模写の「密室芸」で深夜の人気者になったあと、1982年から2014年まで昼の生放送『笑っていいとも!』の司会を務め、ギネス世界記録に認定された。2026年も『ミュージックステーション』の司会と『ブラタモリ』を続けている。
1982〜2026年
No.96新着 ダウンタウン NSC1期生が漫才とコントの「間」を変えた
登録 2026年10月23日 23:51
ダウンタウンは、吉本興業の養成所 NSC の1期生、松本人志と浜田雅功が1982年に組んだコンビである。ゆったりした間の漫才と、関係性で笑わせるコントで1990年代のテレビの笑いの中心になった。2024年に松本が週刊誌報道を受けて活動を休止し、2025年11月に有料配信「DOWNTOWN+」で再開したが、2026年10月に術後の体調から休養を続けると伝えている。