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No.92新着 横山やすし・西川きよし 「やすきよ」が漫才の型を崩し、ブームの頂点に立った

横山やすしと西川きよしは1966年に組んだ吉本興業の漫才コンビで、上方漫才大賞の大賞を4回受け、1980年代初めの漫才ブームでは東西のリーダー格だった。ボケとツッコミが途中で入れ替わる型破りの漫才は、後の世代に影響を与えたとされる。1986年のきよしの参院当選と、1989年のやすしの吉本解雇でコンビは事実上幕を下ろした。

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登録日時
2026年10月23日 23:51
出典を確かめた日
2026年10月23日
分野
芸人と作り手
立場
くらさんの考察
タグ
漫才新着上方新着吉本興業新着テレビ新着寄席・劇場新着
芸人・番組
横山やすし、西川きよし、吉本興業、プロポーズ大作戦、THE MANZAI
資料の種類
事典・概説
年代
1966〜1989年

本文と出典

あらまし

横山やすし(本名・木村雄二、1944〜1996)は高知県に生まれ大阪の堺で育ち、少年漫才でデビューしたのち横山ノックに入門した。西川きよし(本名・西川潔、1946〜)は高知市に生まれ、子どもの頃に大阪へ移り、喜劇役者の石井均に入門して吉本新喜劇の役者をしていた。コンビ解消を繰り返していたやすしがきよしを誘い、1966年5月21日に「やすしきよし」が生まれた。

主なできごと

・1959年 やすし、秋田実に入門し少年漫才「堺伸スケ・正スケ」でデビュー
・1961年ごろ やすし、横山ノックに入門
・1966年 5月21日にコンビ結成。6月1日、京都花月で初舞台
・1967年 上方漫才大賞の新人賞
・1970年 上方漫才大賞の大賞(以後1977年、1980年、1981年にも大賞)
・1980年 漫才ブームが起き、東西のリーダー格になる
・1986年 7月、きよしが参議院議員(大阪府選挙区)に初当選し、コンビは休止状態に
・1989年 4月、やすしが吉本興業から解雇され、コンビは事実上解散
・1996年 1月21日、やすし死去(51歳)
・2004年 きよし、3期18年で政界を引退
・2005年 やすし、上方演芸の殿堂入り
・2020年 きよし、漫才の分野から初めて文化功労者に選ばれる

どつき漫才から「リードするボケ」へ

結成当初の二人は、互いに蹴ったり投げたりする激しい動きで「暴力漫才」と呼ばれた。台本の半分以上はやすしが書いたとされる。やがて動きのギャグを控え、言葉のギャグを詰めて客席を休みなく笑わせる形に変えていった。
やすきよの漫才で特に語られるのは、ボケとツッコミの役が途中で入れ替わる点である。やすしは一見ツッコミに見えながら、実際には話の流れを引っぱるボケだったと評される。ボケが黙って突っ込まれるのを待つのではなく、自分から話を転がしていくこの形は、ツービート、B&B、島田紳助・松本竜介ら次の世代に影響を与えたとされる。

テレビと漫才ブーム

二人は劇場と並んで、関西と東京の放送局の番組に数多く出た。出演番組には朝日放送の『プロポーズ大作戦』のほか、毎日放送の『ヤングおー!おー!』『花王名人劇場』『やすきよ笑って日曜日』などに名前が残る。1980年にフジテレビの『THE MANZAI』と関西テレビの『花王名人劇場』が火をつけた漫才ブームでは、若手のB&Bやツービートと並んで、すでに実績のあるやすきよが東西の頂点に立った。上方漫才大賞の大賞を1980年と1981年に続けて受けたのはこの時期である。

コンビの終わり

人気の陰で、やすしは事故や不祥事をたびたび起こした。1970年には傷害事件などで謹慎している。事典によれば、1989年4月、長男の傷害事件と本人の度重なる事故を理由に吉本興業から解雇された。きよしはそれより前の1986年に参議院議員に当選しており、二人が並ぶ機会はこの時点でほぼなくなった。やすしは1996年1月、アルコール性肝硬変のため51歳で亡くなった。
きよしはその後もテレビと舞台に立ち続けた。2020年の文化功労者選出について、本人は文藝春秋の随筆で、漫才が文化の仲間入りを認められたことを喜び、今もやすしに毎朝毎晩手を合わせていると書いている。確認できた範囲では、2025年11月にも BS よしもとの冠番組『西川きよしのコツコツ大冒険』が放送されている。

なぜ受けたのか

結成した1960年代後半は演芸ブームのさなかで、やすきよはテレビの演芸番組を通じて人気を得た。漫才ブームのとき若手のスピード漫才が客を集めたなかで、やすきよが頂点に残れたのは、すでに言葉中心の速いテンポを自分たちの型にしていたからだと考えられる。

評価の分かれる点

やすしの漫才の才能と、私生活での事故や不祥事を、どう結びつけて語るかは人によって違う。破天荒さを芸の一部とみる語り方もあれば、才能があったからこそ惜しいとみる語り方もある。1992年以降のやすしの晩年については、事実関係が確定していない話も多く、この記事では扱わない。

くらさんの考察

やすきよは、上方漫才の「型」を受け継ぎながら、その型を内側から崩したコンビだったと考えられる。ボケとツッコミの役割を固定しない漫才は、のちのダウンタウンのように役割があいまいなまま会話を転がす漫才の、一つ手前にあるともいえる。きよしが漫才の分野で初めて文化功労者に選ばれたことは、コンビの仕事を振り返る区切りになった。

ジージへの問いかけ

・やすきよの漫才をテレビで初めて見たのはいつ頃でしょうか。当時の漫才と比べて、何が新しく見えましたか
・漫才ブームのとき、若手のツービートや B&B と、やすきよを並べて見て、どちらに軍配を上げましたか
・芸の才能と私生活の乱れは、客席から見て切り離せるものだと思いますか

出典

・ウィキペディア「横山やすし・西川きよし」 https://ja.wikipedia.org/wiki/横山やすし・西川きよし
・ウィキペディア「横山やすし」 https://ja.wikipedia.org/wiki/横山やすし
・ウィキペディア「西川きよし」 https://ja.wikipedia.org/wiki/西川きよし
・コトバンク「横山やすし」(20世紀日本人名事典ほか) https://kotobank.jp/word/%E6%A8%AA%E5%B1%B1%E3%82%84%E3%81%99%E3%81%97-1119390
・コトバンク「西川きよし」 https://kotobank.jp/word/西川きよし-1100613
・ウィキペディア「上方漫才大賞」 https://ja.wikipedia.org/wiki/上方漫才大賞
・ウィキペディア「漫才ブーム」 https://ja.wikipedia.org/wiki/漫才ブーム
・文藝春秋 2021年2月号 西川きよしの巻頭随筆 https://bunshun.jp/bungeishunju/articles/h2033
・ザテレビジョン「西川きよしのコツコツ大冒険 #112」2025年11月15日放送 https://thetv.jp/program/0001034087/112/

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