No.71新着 吉本興業の歩み 天満の寄席一軒から、漫才と新喜劇とテレビの会社へ
吉本興業は1912年、吉本吉兵衛とせいの夫婦が大阪天満の寄席を買い取って始まった。寄席を「花月」の名でまとめ、エンタツ・アチャコの漫才で客をつかみ、戦後は映画館経営を経て1959年に演芸へ戻った。2009年のTOBで上場をやめ、2019年に吉本興業ホールディングスとなった。
本文と出典
あらまし
吉本興業は、1912年に大阪の天満で寄席の経営を始めた会社である。
寄席を次々に手に入れて「花月」の名でまとめ、昭和の初めには漫才を看板にして大きくなった。
戦後はいったん映画館の経営に切り替え、1959年に演芸へ戻ってからは、吉本新喜劇とテレビで全国に知られるようになった。
いまは持株会社の吉本興業ホールディングスのもとに、芸人のマネジメントを担う吉本興業株式会社などが置かれている。
主なできごと
・1912年 4月1日、吉本吉兵衛とせいの夫婦が天神橋の寄席「第二文芸館」を買い取り、寄席の経営を始める
・1913年 吉本興行部をつくる
・1915年 持っている小さな寄席の多くを「花月」と改名
・1922年 東京の神田に「神田花月」を開き、関東へ進出
・1930年 横山エンタツと花菱アチャコが吉本に入りコンビを組む。漫才専門の寄席「南陽館」を開く
・1932年 吉本興業合名会社となる
・1935年 東京の本拠地として浅草花月劇場を開く
・1948年 吉本興業株式会社となり、寄席や劇場の多くを映画館に切り替える
・1949年 大阪証券取引所に上場
・1959年 映画館を演芸場に改め、うめだ花月を開いて演芸を再開
・1962年 「吉本ヴァラエティ」を「吉本新喜劇」と改める
・1980年 東京連絡事務所を置き、東京での活動を立て直し始める
・1982年 養成所の吉本総合芸能学院(NSC)を開く
・1987年 なんばグランド花月を開く
・2007年 持株会社の形に移り、事業を3社に分ける
・2010年 前年のTOB(株式の買い付け)を経て上場をやめる
・2019年 吉本興業ホールディングスに社名を改める。同じ年に「闇営業」問題が起きる
寄席から漫才の会社へ
吉本の始まりは、夫婦が買い取った一軒の寄席だった。
1915年には持っている小さな寄席の多くを「花月」と名づけ、同じ看板のもとにまとめた。
1922年には東京の神田と横浜の寄席も手に入れ、関西の外へ広がった。
昭和に入ると、吉本は漫才に力を入れた。
1930年に横山エンタツと花菱アチャコが吉本に加わってコンビを組み、同じ年に漫才だけを見せる寄席「南陽館」も開いた。
1932年には会社の形を合名会社に改め、吉本せいが初代の社長になった。
1935年には東京の拠点として浅草花月劇場を開いている。
映画から演芸へ戻る
戦後の1948年に株式会社となったとき、吉本は寄席や劇場の多くを映画館に切り替えた。
社長は林正之助に代わり、翌1949年には大阪証券取引所に上場した。
演芸に戻ったのは1959年で、持っていた映画館を演芸場に改めて、うめだ花月を開いた。
それまで「吉本ヴァラエティ」と呼んでいた喜劇の舞台は、1962年に「吉本新喜劇」と名を改め、のちに吉本の顔の一つになる。
1980年に東京の連絡事務所を置いてからは、東京での仕事を少しずつ増やした。
1982年には養成所NSCを開き、1987年には大阪の拠点として、いまのなんばグランド花月を開いた。
テレビ局で漫才番組を作っていたフジテレビの横澤彪が、1995年に退社して吉本の東京本部長に就いたことも、東京との結びつきを示している。
上場の廃止と2019年の問題
2007年に持株会社の形へ移り、2009年には投資会社によるTOB(株式の買い付け)を発表した。
これは経営陣が自ら株を買い集める形に近いもので、2010年に上場をやめた。
2019年6月に吉本興業ホールディングスと社名を改めた。
同じ年、所属芸人が会社を通さずに仕事を受けていた「闇営業」の問題が明らかになり、複数の芸人が謹慎や契約解除となった。
この問題をきっかけに、ギャラの配分や契約書がないことが指摘され、労働基準監督署からも長時間労働について是正の勧告を受けた。
社長は、吉本せい、林正之助、林弘高、八田竹男、中邨秀雄、林裕章、吉野伊佐男、大﨑洋らを経て、2019年から岡本昭彦が務めている。
なぜ受けたのか
吉本が大きくなったのは、寄席という場所と、そこに出る芸人の両方を自分で持っていたためと考えられる。
同じ「花月」の看板で多くの寄席をまとめ、エンタツ・アチャコのような新しい漫才を自前の舞台に出し続けられたことが、客を集める力になった。
戦後に演芸を再開したときも、劇場と新喜劇とテレビを組み合わせ、大阪の笑いを全国へ届ける形を作った。
評価の分かれる点
劇場、芸人、養成所、番組制作までを一つの会社が握る形は、芸人を育てて売り出す力になる一方で、芸人と会社の力の差が大きくなりやすい。
2019年の問題で契約書の不備が指摘されたことは、その形の弱いところが表に出たものとみることもできる。
くらさんの考察
吉本の歩みを見ると、寄席から映画館、映画館から演芸場へと、時代に合わせて商売の中心を何度も入れ替えてきたことが分かる。
その一方で、自前の劇場に芸人を出し続けるという土台は、1912年から変わっていない。
NSCを開いて芸人を自分で育て始めたのも、この土台を広げる動きと考えられる。
ジージへの問いかけ
・ジージが子どもの頃、吉本の芸人や吉本新喜劇はテレビでどのように見えていたでしょうか。
・一つの会社が劇場も芸人も番組づくりも持つことは、お笑いにとってよいことだと思いますか。
・吉本せいという創業者の話を、ジージはどこかで聞いたことがあるでしょうか。
出典
・ウィキペディア「吉本興業ホールディングス」 https://ja.wikipedia.org/wiki/吉本興業ホールディングス
・ウィキペディア「吉本興業」 https://ja.wikipedia.org/wiki/吉本興業
・ウィキペディア「横澤彪」 https://ja.wikipedia.org/wiki/横澤彪
この記事を読んで浮かんだ疑問は、運営者ジージがお笑いQAでくらさんに質問し、答えをそこに載せていきます。