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新しく登録した記事の 20 件
10月28日登録 / 2026年10月28日
No.215新着 松竹芸能 戎橋松竹から続く、吉本と並ぶもう一つの上方の笑いの事務所
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松竹芸能は、大阪の戎橋松竹を仕切っていた勝忠男が1954年に作った新生プロダクションと、秋田實の上方演芸が1958年に合併して生まれた松竹新演芸を前身とする。1962年に今の名になり、1968年には養成所を開いた。吉本興業とは長く芸人の引き抜きや共演拒否で対立したが、1990年代以降は共演が増えた。
10月28日登録 / 2026年10月28日
No.214新着 M-1グランプリ2025 過去最多1万1521組から、初の決勝のたくろうが王者になった
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2025年12月21日に放送されたM-1グランプリ2025の決勝で、たくろうが第21代王者になった。エントリーは史上最多の1万1521組で、決勝の審査員は前年と同じ9人制だった。最終決戦はたくろうが9票中8票を集め、ドンデコルテが1票で準優勝となった。
10月28日登録 / 2026年10月28日
No.213新着 お笑いスター誕生!! 素人も玄人も10週勝ち抜きを競った、1980年代の演芸オーディション
「お笑いスター誕生!!」は、1980年4月12日から1986年9月27日まで日本テレビ系で放送された演芸オーディション番組である。山田康雄と中尾ミエが司会を務め、挑戦者は毎週5組ほどがネタを見せて10週勝ち抜きのグランプリを目指した。とんねるずやウッチャンナンチャンらが出場した。
10月27日登録 / 2026年10月27日
No.212 キングオブコント2026 初の敗者復活戦と審査員7人で、ジェラードンが第19代王者になった
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2026年10月17日にTBS系で生放送された第19回キングオブコントは、ジェラードンが優勝した。参加3445組から、大会で初めて行われた敗者復活戦の1組を含む11組が決勝で争い、審査員も7人になった。報道は2位の蛙亭との差を33点と伝える。
10月27日登録 / 2026年10月27日
No.211 浅草の笑い 六区の劇場街が、オペラから喜劇、幕間のコント、寄席へと主役を替えてきた
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浅草の笑いは、1884年に区画された浅草公園の六区という興行街で育った。浅草オペラ、エノケンとロッパの喜劇、戦後のストリップ劇場の幕間のコントと、劇場の主役は時代ごとに入れ替わった。1964年に開いた浅草演芸ホールと、2000年に改称した東洋館が、いま六区に寄席として残っている。
10月27日登録 / 2026年10月27日
No.210 古今亭志ん生 満州から戻って人気が爆発した、戦後東京の落語の大看板
五代目古今亭志ん生(1890〜1973)は、多くの改名を重ねて1939年に志ん生を襲名した東京の落語家である。1945年に満州へ慰問に渡って敗戦後も帰れず、1947年1月に帰国してから人気が高まった。長男は十代目金原亭馬生、次男は三代目古今亭志ん朝で、1973年9月21日に83歳で亡くなった。
10月26日登録 / 2026年10月26日
No.209 ABCお笑いグランプリ 漫才・落語の新人コンクールから、全国の若手が挑む大会へ
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ABCお笑いグランプリは1980年に「ABC漫才・落語新人コンクール」として始まり、1989年に「ABCお笑い新人グランプリ」、2012年に今の名前へ変わった。関西の新人の登竜門から全国の若手が出る大会になり、2026年の第47回はゼロカランが優勝した。
10月26日登録 / 2026年10月26日
No.208 花王名人劇場 ドラマで始まった関西テレビの演芸枠が、漫才ブームの火付け役になった
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『花王名人劇場』は関西テレビと東阪企画が作り、フジテレビ系で1979年10月7日から1990年3月18日まで日曜夜に放送された単発の演芸・バラエティ番組である。初めはドラマや喜劇が中心で視聴率に苦しんだが、1980年の「激突!漫才新幹線」などで若手漫才師を押し出し、漫才ブームのきっかけの一つとされる。
10月26日登録 / 2026年10月26日
No.207 桂枝雀 「緊張の緩和」で笑いを説明し、英語落語にも挑んだ米朝門下の上方落語家
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桂枝雀(1939〜1999)は1961年に三代目桂米朝へ入門し、1973年に二代目枝雀を襲名した上方落語家である。笑いは緊張と緩和の釣り合いから生まれるという考えを唱え、1980年代には英語落語を始めて海外でも演じた。1999年4月19日に亡くなった。
10月25日登録 / 2026年10月25日
No.206 ものまね芸 歌舞伎の声色から声帯模写へ、テレビの「ものまね王座決定戦」で四天王の時代になった
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ものまね芸のもとは、歌舞伎役者の台詞回しをまねる江戸時代の「声色」である。昭和に古川緑波が「声帯模写」と呼んで寄席の芸に押し上げ、戦後はラジオとテレビで歌手や政治家もまねの対象になった。1973年に始まったフジテレビ『ものまね王座決定戦』が舞台となり、1980年代後半から90年代にコロッケ、清水アキラらの「ものまね四天王」が人気を集めた。同番組は2000年に終わり、2012年に特番として復活して2025年も放送された。
10月25日登録 / 2026年10月25日
No.205 2000年代のテレビのネタ番組ブーム オンバト、エンタ、レッドカーペットが芸人の出方を変えた
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2000年代のテレビには、短いネタを次々に見せる番組が並んだ。NHKの『爆笑オンエアバトル』は観客の投票でネタの合否を決め、日本テレビの『エンタの神様』は芸名と決めゼリフで芸人を売り出し、フジテレビの『爆笑レッドカーペット』は1分ほどのネタを流れ作業のように見せた。2008年ごろに頂点を迎えたあと、各番組は視聴率の低下を理由に2010年前後に終わっている。
10月25日登録 / 2026年10月25日
No.204 立川談志 笑点の初代司会から落語立川流の家元へ、「落語は人間の業の肯定」を言い続けた落語家
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立川談志(1936〜2011)は16歳で五代目柳家小さんに入門し、1963年に真打となった。1966年に『笑点』を企画して初代司会を務め、1971年には参議院議員に当選。1983年に真打昇進試験をめぐって落語協会を脱退し、落語立川流を作って家元になった。「落語とは人間の業の肯定である」という考えを繰り返し語った。
10月24日登録 / 2026年10月24日
No.203 女性芸人の歩み 夫婦と姉妹の漫才から、THE Wの9回まで
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女性の漫才師は戦前から舞台に立っていたが、名を残した組の多くは夫婦、親族、師弟のどれかだった。1970年代からは高校や大学の仲間で組むコンビや、テレビで一人の芸を見せる女性が現れた。女性だけの賞レースTHE Wは2017年から2025年まで9回開かれ、2026年は開かないと伝えられている。
10月24日登録 / 2026年10月24日
No.202 深夜ラジオとお笑い 若者の「解放区」で、芸人がハガキを読み、名前を売った
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1967年、『パックインミュージック』『オールナイトニッポン』『MBSヤングタウン』がそろって始まり、深夜のラジオは受験生や夜更かしの若者が一人で聞く時間になった。大阪ではこの深夜枠から桂三枝と笑福亭仁鶴が人気者になり、東京では笑福亭鶴光やビートたけしが聞き手のハガキを軸にした番組で若者をつかんだ。ハガキで聞き手が番組に加わる形は、今の芸人ラジオにも続いている。
10月24日登録 / 2026年10月24日
No.201 萩本欽一 浅草の舞台からテレビの司会へ、素人を笑いの主役にした「視聴率100%男」
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萩本欽一(1941〜)は浅草の東洋劇場で修業し、1966年に坂上二郎とコント55号を組んでテレビの人気者になった。1970年代からは一人で司会に立ち、ハガキ投稿や素人の出演者を笑いの中心に据えた『欽ドン』『欽どこ』を当て、1980年代前半には冠番組の週間視聴率の合計が100%に達したといわれた。85歳の2026年もBS日テレの番組に出ている。
10月23日登録 / 2026年10月23日
No.96 ダウンタウン NSC1期生が漫才とコントの「間」を変えた
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ダウンタウンは、吉本興業の養成所 NSC の1期生、松本人志と浜田雅功が1982年に組んだコンビである。ゆったりした間の漫才と、関係性で笑わせるコントで1990年代のテレビの笑いの中心になった。2024年に松本が週刊誌報道を受けて活動を休止し、2025年11月に有料配信「DOWNTOWN+」で再開したが、2026年10月に術後の体調から休養を続けると伝えている。
10月23日登録 / 2026年10月23日
No.95 タモリ 密室芸のアングラ芸人が、昼の生放送を32年近く続けた
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タモリ(森田一義、1945〜)は、ジャズ仲間の間で知られた素人芸を赤塚不二夫に見いだされ、1975年に上京した。デタラメ外国語や形態模写の「密室芸」で深夜の人気者になったあと、1982年から2014年まで昼の生放送『笑っていいとも!』の司会を務め、ギネス世界記録に認定された。2026年も『ミュージックステーション』の司会と『ブラタモリ』を続けている。
10月23日登録 / 2026年10月23日
No.94 明石家さんま 落語家の弟子からテレビのしゃべりの頂点へ
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明石家さんま(1955〜)は笑福亭松之助に入門した落語家の出だが、形態模写とトークでテレビに活路を開き、『オレたちひょうきん族』で全国区になった。1999年には「日本で最も露出の多いテレビスター」としてギネス世界記録に認定された。70歳を過ぎた2026年も、関西と東京で冠番組の司会を続けている。
10月23日登録 / 2026年10月23日
No.93 ビートたけし 浅草の毒舌漫才から深夜ラジオ、そして世界の映画監督へ
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ビートたけし(北野武、1947〜)は浅草フランス座で修業し、ツービートの毒舌漫才で1980年の漫才ブームの中心に立った。ブーム後は深夜ラジオとテレビのバラエティで笑いの主役になり、1989年からは映画監督として『HANA-BI』でヴェネツィア国際映画祭の金獅子賞を受けた。2026年も討論番組の司会を続けている。
10月23日登録 / 2026年10月23日
No.92 横山やすし・西川きよし 「やすきよ」が漫才の型を崩し、ブームの頂点に立った
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横山やすしと西川きよしは1966年に組んだ吉本興業の漫才コンビで、上方漫才大賞の大賞を4回受け、1980年代初めの漫才ブームでは東西のリーダー格だった。ボケとツッコミが途中で入れ替わる型破りの漫才は、後の世代に影響を与えたとされる。1986年のきよしの参院当選と、1989年のやすしの吉本解雇でコンビは事実上幕を下ろした。