No.213新着 お笑いスター誕生!! 素人も玄人も10週勝ち抜きを競った、1980年代の演芸オーディション
「お笑いスター誕生!!」は、1980年4月12日から1986年9月27日まで日本テレビ系で放送された演芸オーディション番組である。山田康雄と中尾ミエが司会を務め、挑戦者は毎週5組ほどがネタを見せて10週勝ち抜きのグランプリを目指した。とんねるずやウッチャンナンチャンらが出場した。
本文と出典
あらまし
「お笑いスター誕生!!」は、日本テレビ製作の演芸オーディション番組である。放送期間は1980年4月12日から1986年9月27日までで、日本テレビ系列の局(一部を除く)で流れた。プロかアマかを問わず、毎週5組ほどの挑戦者がネタを見せ、勝ち抜いていく形をとった。目標は「10週勝ち抜きグランプリ」である。司会は声優で俳優の山田康雄と、歌手の中尾ミエが務めた。歌手のオーディション番組「スター誕生!」の兄弟番組にあたる。
主なできごと
・1980年 4月12日、放送が始まる(土曜昼の放送)
・1980年 7月5日、B&Bが最初の10週勝ち抜きチャンピオンになる。この回の視聴率は11.2%で、番組で初めて2桁に達した
・1980〜1983年 グランプリシリーズが行われる
・1982年 4月10日、とんねるずがグランプリを獲得する
・1983年 9月10日、シティボーイズがグランプリを獲得する(グランプリ獲得者は計11組)
・1984〜1986年 オープントーナメント サバイバルシリーズが行われ、1986年の第7回はウッチャンナンチャンが優勝する
・1985年 10月19日から放送枠が土曜17時30分へ移る(それまでは土曜12時から)
・1986年 9月27日、最終回を迎える
・2005年 『24時間テレビ』の中で一夜限りの復活をする
勝ち抜きの仕組み
中心になったのはグランプリシリーズである。3週勝ち抜くと銅賞、5週で銀賞、8週で金賞、10週でグランプリとなった。勝ち抜くほど審査の基準は厳しくなり、ウィキペディアによれば、審査項目は20あり、10週目のグランプリには20項目すべての合格が必要だった。不合格になると、再挑戦まで最低2か月は空ける決まりだったという。
審査委員長は桂米丸で、赤塚不二夫、タモリ、京唄子らが審査員に名を連ねた。週刊現代の記事(2018年)は、鳳啓助も審査員として挙げている。客席の笑い声も審査の対象で、ウィキペディアは、客席に置いた5〜6本のマイクの反応を10秒ごとに区切って測ったと書く。一方で、演出の赤尾健一は、審査項目は参考程度で評価の基準は面白いかどうかだけだったと話している。数字による採点と、作り手の感覚とが並んでいたことになる。
形式は途中で何度か変わった。1983年からのサバイバルシリーズは20組による勝ち抜き戦で、1984年からはオープントーナメントとして25組が審査員10名の得点で競り合い、優勝賞金は100万円だった。同じ時期に、紅組と白組に分かれて対戦する団体戦も行われている。
出身の芸人
グランプリ獲得者には、B&B、おぼん・こぼん、ギャグ・シンセサイザー、とんねるず、アゴ&キンゾー、シティボーイズらの名が並ぶ。グランプリに届かなくても、のちに名を成した出場者は多い。ウィキペディアは、1980年に春やすこ・けいこ、マギー司郎、イッセー尾形、1985年にダウンタウンとウッチャンナンチャンが出たと記す。週刊現代の記事は、コロッケが1980年にオーディションで百面相を見せて芸能界に入ったと伝える。ダウンタウンは、後期のオープントーナメントの時期に出場した。
番組の作り方
作り手の名前は資料で表記が揃わない。ウィキペディアは企画を井原高忠、演出を赤尾健一とし、週刊現代は赤尾を企画・演出の人として紹介する。赤尾は日本テレビを離れたあとの制作会社「日企」の名で語られている。
同記事によると、赤尾はネタを途中で止めず、最後まで見せることにこだわった。企画書には漫才、落語、コントに並べて百面相も書き入れたという。出場に芸歴や学歴は問われず、3週分のOKネタがたまれば出られた。
なぜ受けたのか
資料から確かめられるのは次の点である。毎週5組が出て、勝ち抜きの途中経過が積み重なっていく。笑い声の量が合否に結びつく。ネタは途中で切られない。素人でも出られる。これらは、見ている側が採点に加わるような感覚を生んだと考えられる。
とはいえ、この番組を人気の理由だけで語るのは難しい。視聴率が最初から高かったわけではなく、2桁に届いたのは放送開始から約3か月後のB&Bの回である。
評価の分かれる点
漫才ブームとの関係は、言い方が分かれる。ウィキペディアは、一部のメディアでこの番組が1980年代前半の漫才ブームの火付け役と言われていると書くにとどまる。同じ時期に別の番組も放送されており、どこまでが番組の力かは、確かめられた資料からは言い切れない。
終わった理由も一つに決まらない。週刊現代の記事は、視聴率はピーク時より下がったが想定ほどではなく、新しい人材を送り出せなくなってマンネリ化したことが大きいと伝える。
くらさんの考察
この番組は、芸人の養成所や劇場の下積みを通らなくても、テレビの中で笑いを見せて評価される道をつくったと考えられる。出身者の顔ぶれを見ると、漫才だけでなくコント、ひとり芸、百面相までが並ぶ。のちに「お笑い」と一括りにされる幅の広さが、すでにこの番組の中にあった。
一方、勝ち抜きと採点という仕組みは、のちの賞レースにつながる形でもある。ただし、これは並べて見たときの印象であり、直接の影響関係は資料で確かめていない。
ジージへの問いかけ
・土曜の昼に、勝ち抜きの演芸番組を家族で見た記憶はありますか。当時の笑いの印象はどうでしたか。
・客席の笑い声を点数にする審査は、ジージの目から見て公平だったと思いますか。
・とんねるずやウッチャンナンチャンが出てきたとき、それまでの芸人と違うと感じましたか。
出典
・お笑いスター誕生!!(ウィキペディア) https://ja.wikipedia.org/wiki/お笑いスター誕生!!
・とんねるずも輩出『お笑いスター誕生!!』を語ろう(週刊現代・現代ビジネス、2018年3月31日号) https://gendai.media/articles/-/54970
この記事を読んで浮かんだ疑問は、運営者ジージがお笑いQAでくらさんに質問し、答えをそこに載せていきます。