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No.211新着 浅草の笑い 六区の劇場街が、オペラから喜劇、幕間のコント、寄席へと主役を替えてきた

浅草の笑いは、1884年に区画された浅草公園の六区という興行街で育った。浅草オペラ、エノケンとロッパの喜劇、戦後のストリップ劇場の幕間のコントと、劇場の主役は時代ごとに入れ替わった。1964年に開いた浅草演芸ホールと、2000年に改称した東洋館が、いま六区に寄席として残っている。

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登録日時
2026年10月27日 18:22
出典を確かめた日
2026年10月27日
分野
劇場と業界
立場
くらさんの考察
タグ
寄席・劇場新着東京新着コント新着喜劇・新喜劇新着
芸人・番組
浅草六区、榎本健一、古川緑波、浅草フランス座、渥美清、浅草演芸ホール、浅草フランス座演芸場東洋館
資料の種類
事典・概説
年代
1884〜2012年

本文と出典

あらまし

浅草の笑いは、一人の芸人や一つの芸ではなく、六区という一角に劇場が並んでいたことから生まれた。浅草寺の境内は明治の初めに公園となり、1884年(明治17年)1月に東京府が公園地を一区から六区に分けた。興行が集まった第六区が「六区」と呼ばれる歓楽街である。ここで上演の中身が、オペラ、喜劇、ストリップの幕間、寄席の順に替わっていった。テレビが広がった1960年代に客足は落ち、2012年には映画館がすべて閉じた。それでも落語と漫才の寄席は、六区の跡に続いている。

主なできごと

・1884年 東京府が浅草公園地を六区に区画し、興行の六区ができる
・1887年 根岸興行部の常盤座が開く(六区で最初の劇場とされる)
・1903年 日本初の映画専門館とされる電気館が開く
・1917年 常盤座の『女軍出征』が当たり、浅草オペラの時代が始まる。10月には日本館で東京歌劇座が旗揚げする
・1923年 関東大震災で浅草が被災し、浅草オペラは衰える
・1929年 榎本健一が浅草公園の水族館2階でカジノ・フォーリーを旗揚げする
・1933年 古川緑波が常盤座で喜劇団「笑の王国」を旗揚げする(旗揚げを1935年とする事典もある)
・1945年 東京大空襲で一帯が焼ける
・1951年 東洋興業がストリップ劇場の浅草フランス座を開く
・1953年 渥美清が浅草のフランス座に入る
・1964年 浅草演芸ホールが開く
・1999年 フランス座がストリップ興行を打ち切る
・2000年 浅草フランス座演芸場東洋館に改称し、演芸の小屋になる
・2012年 10月21日に浅草新劇場が閉館し、六区から映画館がなくなる

オペラと喜劇の時代

六区に最初に建った劇場は、1887年開場の常盤座とされる。1903年には映画専門の電気館が開き、六区は芝居と映画が並ぶ町になった。大正に入ると、ここがオペラの町になる。ウィキペディアによれば、1917年1月に常盤座で上演された『女軍出征』の大当たりが浅草オペラの始まりで、同年10月には日本館が東京歌劇座の常設小屋になり、根岸大歌劇団は金龍館を拠点にした。榎本健一は1922年に根岸の『カルメン』のコーラスで舞台に出た。
関東大震災のあと、オペラは持ち直せず、根岸大歌劇団は1924年3月に解散した。オペラの人材は六区に残り、レヴューや軽い喜劇へ移った。榎本健一は1929年7月にカジノ・フォーリーを旗揚げしたが、約2か月で解散し、1930年には二村定一らとピエル・ブリアントを結成した。1932年には松竹と契約して浅草の松竹座を拠点にエノケン劇団を始めた。古川緑波は1933年に常盤座で笑の王国を旗揚げしている。昭和初期の六区の劇場一覧には、オペラ館がレヴューとピエル・ブリヤントの上演の場として載っている。ただしオペラ館とエノケンの出演の関係を、確かめた資料の範囲では記述から読み取れなかった。

戦後の幕間のコント

1945年の空襲で六区は焼けたが、戦後すぐ劇場が建て直され、軽演劇、女剣劇、ストリップと、その幕間のコントが人を集めた。1951年開場のフランス座は、戦前に映画館があった場所に東洋興業が建てたストリップ劇場で、名づけ親は永井荷風とされる。踊りの合間に短いコントを入れる形で、そのコントを演じた芸人から後の人気者が出た。ウィキペディアの出身者の一覧には、渥美清、関敬六、谷幹一、東八郎、萩本欽一、坂上二郎、ビートたけし、ビートきよしなどが並ぶ。
コトバンクで裏が取れたのは次の点である。渥美清は1953年に浅草のフランス座に入り、1954年に肺結核で片肺を切除して、3年後に舞台へ戻った。萩本欽一は浅草のコメディアンを経て、1966年に坂上二郎とコント55号を結成した。ビートたけしは、ウィキペディアによれば1972年夏にフランス座でエレベーター係として働き始め、座の中心にいた深見千三郎に師事した。無名時代の井上ひさしが座付き作者としてコントの台本を書いていたという記述もある。ただし、フランス座の項は出典が不十分と注記されており、出身者の在籍時期は個別に確かめた資料が少ない。

寄席として残った六区

1960年代に入ってテレビが広がり、1964年の東京オリンピックのあとには若者の遊び場が新宿、渋谷、池袋に移って、六区の人通りは減った。ウィキペディアによれば、ロック座の踊り子は1955年の約30人から1969年には5人になった。
その1964年に、東洋興業は東洋劇場の上階に落語の定席、浅草演芸ホールを開いた。フランス座は1971年に上階で再開したのち、1999年にストリップをやめ、2000年に浅草フランス座演芸場東洋館と改称して、漫才などの色物を見せる小屋に変わった。2012年4月からは、東洋館の中席も漫才協会が受け持っている。浅草演芸ホールは上席が1日から10日、中席が11日から20日、下席が21日から30日で、落語協会と落語芸術協会が月ごとに順を替えて出る。公式サイトは同ホールを、上野の鈴本演芸場、新宿末廣亭、池袋演芸場と並ぶ落語定席と紹介する。

なぜ受けたのか

六区の笑いが受けた理由を、直接に説明した資料は確かめられなかった。確かめられたのは、劇場、映画館、料理店が同じ区画に集まり、観客が一日のうちに演目を渡り歩けた町だったことである。演目が替わっても同じ町に客が来るので、オペラの人材が喜劇に、ストリップの幕間のコントがテレビに移れたと考えられる。

評価の分かれる点

・東洋劇場の期間が資料で食い違う。ウィキペディアの六区の項は、1964年にフランス座を取り壊して開場し1971年に閉鎖と書く。東洋館とフランス座の項は、1959年の改装時に1階へ開設し、1968年に閉鎖と書く。本稿では年を断定しない
・浅草演芸ホールの移転も同様である。六区の項は1971年に東洋劇場跡へ移ったと書き、東洋館の項は1968年に東洋劇場を閉じて1階へ移したと書く
・笑の王国の旗揚げは、コトバンクの辞典類の多くが1933年とする一方、20世紀日本人名事典は1935年とする
・榎本健一の初舞台は、金竜館で1919年とする書き方と、1922年の『カルメン』のコーラスとする書き方がある
・オペラ館の呼び名は資料で揃わない。コトバンクのエノケンの項は、1930年に二村定一らと結成したピエル・ブリアントを浅草オペラ座の開場と同時と書く

くらさんの考察

浅草の笑いは、芸の流派よりも、劇場の経営と客の流れに沿って移ってきたものと考えられる。オペラの小屋が喜劇の小屋になり、戦後はストリップ劇場の幕間がコントの稽古場になり、いまは寄席が残る。笑いの種類が替わっても、芸人が育つ現場が六区に続いたことが、浅草という名を笑いの土地として残した一因とみることもできる。ただし、これは資料にある説明ではなく、推測である。

ジージへの問いかけ

・ジージが若いころ、浅草には行きましたか。劇場街として覚えている景色はありますか
・渥美清や萩本欽一が浅草の幕間で稽古を積んだという話を、テレビで見ていた当時に聞いたことはありますか
・いま浅草演芸ホールで落語を聞き、東洋館で漫才を見るなら、どちらから入りたいと思いますか

出典

・ウィキペディア「浅草公園六区」 https://ja.wikipedia.org/wiki/浅草公園六区
・ウィキペディア「浅草オペラ」 https://ja.wikipedia.org/wiki/浅草オペラ
・ウィキペディア「浅草フランス座」 https://ja.wikipedia.org/wiki/浅草フランス座
・ウィキペディア「浅草フランス座演芸場東洋館」 https://ja.wikipedia.org/wiki/浅草フランス座演芸場東洋館
・ウィキペディア「浅草演芸ホール」 https://ja.wikipedia.org/wiki/浅草演芸ホール
・ウィキペディア「榎本健一」 https://ja.wikipedia.org/wiki/榎本健一
・ウィキペディア「ビートたけし」 https://ja.wikipedia.org/wiki/ビートたけし
・コトバンク「榎本健一」 https://kotobank.jp/word/榎本健一
・コトバンク「古川緑波」 https://kotobank.jp/word/古川緑波
・コトバンク「渥美清」 https://kotobank.jp/word/渥美清
・コトバンク「萩本欽一」 https://kotobank.jp/word/萩本欽一
・浅草演芸ホール公式 http://www.asakusaengei.com/

動画

・春風亭一之輔 presents 浅草演芸ホール探訪 前編(春風亭一之輔チャンネル)https://www.youtube.com/watch?v=uhSqfRQ8Tow
・ツービートが揃った!たけし&きよし浅草・東洋館に立つ「2人で並ぶと緊張する」たけしの冠お笑いコンテスト 最後に松本人志でギャグ(デイリースポーツ【公式】)https://www.youtube.com/watch?v=V7mnXE99zgY

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