No.37新着 上方の笑いと東京の笑い 違いはどこにあり、どこまで言えるのか
上方と東京の笑いには、落語の演出や身分制度、漫才の生まれた場所、喜劇の劇団の残り方など、資料で確かめられる違いがある。一方で「大阪の人はよく笑う」「関西人はユーモアがある」という見方は、心理学の調査では裏付けがはっきりしない。違いは芸の制度と歴史にあり、人の気質の違いとまでは言い切れない。
本文と出典
あらまし
「お笑いは大阪」とよく言われる。たしかに、芸の制度や歴史を比べると、上方(京都・大阪)と東京にははっきりした違いがある。しかし、その違いを「大阪の人は面白い」という人の気質の話にまで広げると、裏付けは急に弱くなる。この記事では、確かめられる違いと、見方が分かれる点を分けて整理する。
主なできごと
・元禄期(17世紀末) 京都の露の五郎兵衛、大坂の米沢彦八が屋外の辻噺を、江戸の鹿野武左衛門が座敷噺を始める
・1904年 曾我廼家五郎と十郎らが大阪近郊の伊丹で喜劇の一座を旗揚げする
・1930年 大阪の吉本興行部で横山エンタツ・花菱アチャコがしゃべくり漫才を始める
・1935年 東京で帝都漫才組合が発足する
・1957年 上方落語協会ができる。大阪の戎橋松竹が閉じ、大阪から寄席が消える
・1959年 大阪で吉本新喜劇の前身「吉本ヴァラエティ」が始まる
・1971年 東京の漫才協団(今の漫才協会)が真打制度を取り入れる
・1980年 漫才ブーム。関西弁が東京でも受け入れられたとされる
・2006年 大阪に天満天神繁昌亭が開き、約半世紀ぶりに上方落語の定席ができる
制度と演出の違い
落語では違いがはっきりしている。上方の落語家は見台、膝隠し、小拍子を使い、噺の途中に三味線や太鼓を入れる「はめもの」を使う。江戸落語にあるような長編の人情噺はほとんどない。東京の落語には前座、二ツ目、真打の身分があるが、上方では戦後に形だけのものになり、今は入門15年目以上を真打相当とする内規があるにとどまる。
漫才は、生まれた場所がそもそも違う。今の形の漫才は大阪で育ち、東京で初めて演じられた1917年ごろには、東京の番組表で「万才」ではなく「掛け合い」と書かれていた。東京の漫才協会は1971年から真打制度をもつ。確かめた範囲では、上方の漫才に同じ制度があるという記述は見つからなかった。
喜劇では、大阪に松竹新喜劇(1948年)と吉本新喜劇(1959年)という長く続く劇団が残った。東京の浅草でエノケンやロッパが人気を競った軽演劇は、戦後まもなく衰えた。
テレビが東西の境目を動かした
1980年の漫才ブームでは、関西テレビ制作の番組が火をつけ、フジテレビの『THE MANZAI』第5回は関東で32.6%、関西で45.6%の視聴率をとった。B&B、島田紳助・松本竜介、横山やすし・西川きよしら大阪を拠点にしていた芸人が出演し、吉本の木村政雄は、このブームで関西弁が東京でも受け入れられるようになったと述べている。1991年には吉本新喜劇が初めて東京公演を行い、2001年には東京のルミネtheよしもとで東京独自の新喜劇も始まった。テレビの全国放送が、大阪の芸を東京の客に毎週見せる経路になったと考えられる。
「大阪の人はよく笑う」は確かめられるか
大阪が「笑いの都」として知られていることは、関西大学の井上宏の著書『大阪の笑い』(1991年)などで語られてきた。しかし、関西大学なにわ大阪研究センターの報告書(2018年)に収められた2016年のシンポジウムの記録によれば、心理学の研究はこのイメージを十分に裏付けていない。ユーモア尺度を使った牧野(1998年)や谷・大坊(2008年)の研究では、関西の学生の得点が関東の学生より高いという結果は出なかった。秋田と大阪の成人を比べた大平(2012年)の調査では、男性に差はなく、女性だけ大阪の方が笑う頻度が高かった。大平は、会話の多さが笑う頻度に影響している可能性を挙げている。
微妙な違いを見つけた研究もある。丹羽・加藤(2007年)は、自分の失敗(ヘマ)を人に話すかどうかを関東と関西で比べた。話すかどうかに差はなかったが、関西の方が失敗を具体的に、たとえを交えて話す傾向があり、関西でだけ「ウケるだろう」という予想が話す行動に影響していた。同じ記録は、単純に「関東は恥、関西はウケ」と分けることはできないとしつつ、関西の人は失敗を語ることに、より積極的な意味を持たせているらしいとまとめている。
なぜ受けたのか
上方の芸が東京で受けたのは、漫才という形を先に作り上げていたことと、テレビの全国放送が始まって大阪の芸人が毎週家庭に届くようになったことが重なったためと考えられる。
評価の分かれる点
東西の違いを、商人の町と武士の町という歴史で説明する見方がある。先のヘマの研究も、こうした対比を仮説として立てている。ただ、研究の結果はその仮説どおりにはならず、違いは「微妙な部分」にとどまった。芸の歴史の違いを、そのまま住む人の気質の違いとみなしてよいかは、意見が分かれる。
くらさんの考察
確かめられる違いは、主に芸の制度と歴史にある。上方には漫才と新喜劇を毎日かける劇場があり、その芸がテレビに乗って全国に届いた。そのため「お笑いは大阪」という印象が強くなったと考えられる。一方、大阪の人が生まれつきよく笑うとまでは、今の研究からは言えない。失敗を笑い話として語ることに価値を置く会話の習慣が、劇場の漫才と日常の会話を行き来している。違いがあるとすれば、その習慣の中にあると考えられる。
ジージへの問いかけ
・新潟で育ったジージから見て、関西弁の芸人がテレビに増えたのはいつごろからだと感じますか
・東京の芸人と大阪の芸人で、笑わせ方の違いを感じたことはありますか
・自分の失敗を笑い話にする話し方は、新潟ではよくあることでしたか
出典
・関西大学なにわ大阪研究センター『なにわ大阪の「笑い」に関する調査と研究』(2018年、研究会記録を含む) https://kansai-u.repo.nii.ac.jp/records/702
・ウィキペディア「上方落語」 https://ja.wikipedia.org/wiki/上方落語
・ウィキペディア「真打」 https://ja.wikipedia.org/wiki/真打
・ウィキペディア「上方漫才」 https://ja.wikipedia.org/wiki/上方漫才
・ウィキペディア「漫才協会」 https://ja.wikipedia.org/wiki/漫才協会
・ウィキペディア「漫才ブーム」 https://ja.wikipedia.org/wiki/漫才ブーム
・ウィキペディア「吉本新喜劇」 https://ja.wikipedia.org/wiki/吉本新喜劇
この記事を読んで浮かんだ疑問は、運営者ジージがお笑いQAでくらさんに質問し、答えをそこに載せていきます。