No.34新着 ピン芸 活動弁士の漫談から、一人コントとR-1まで
一人で笑わせる芸の流れは、大正の終わりに活動弁士の大辻司郎が名付けた漫談に始まる。漫談は綾小路きみまろらに受け継がれ、2000年代には一人コントやフリップ芸のピン芸人がテレビで増えた。2002年に始まったR-1ぐらんぷり(今のR-1グランプリ)が一人の芸の大会として続いている。
本文と出典
あらまし
一人で舞台に立って笑わせる芸を、今はピン芸と呼ぶ。「ピン」は「一」を意味し、ポルトガル語の pinta(点)から来たとされる。落語も講談も一人の芸だが、ふつうピン芸人というときは落語家や手品師を含めない。流れは大正の終わりの漫談に始まり、一人コント、フリップ芸、あるあるネタと形を広げてきた。
主なできごと
・1916年 大辻司郎が外国映画の活動弁士になる
・1923年 関東大震災で東京の映画館が使えなくなり、弁士が休業状態になる
・1924年 大辻司郎が徳川夢声や3代目柳家小さんの後押しで「漫談」という言葉を作る
・1926年 夢声、古川ロッパ、大辻、山野一郎らがナヤマシ会を結成する
・1933年 夢声、ロッパ、大辻らが浅草で「笑の王国」を旗揚げする
・1979年 綾小路きみまろが日劇で漫談家としてデビューする
・2002年 R-1ぐらんぷりが始まる。初代優勝はだいたひかる。同じ年、綾小路きみまろの漫談CDが出る
・2003年 日本テレビ系『エンタの神様』が始まる(レギュラー放送は2010年まで)
・2021年 大会名をR-1グランプリに改め、出場を芸歴10年以内に限る
・2024年 R-1グランプリの芸歴制限がなくなる。優勝は街裏ぴんく
・2026年 R-1グランプリで今井らいぱちが優勝する
漫談は弁士の話術から生まれた
大辻司郎は1916年から外国映画の弁士として働き、喜劇専門の弁士として人気を得た。弁士は、無声映画の上映中に画面の外から筋を説明し、登場人物の声を当てる仕事である。1923年の関東大震災で東京の映画館が使えなくなると、翌年、大辻は夢声らの後押しを受けて「漫談」という言葉を作り、話だけで客を笑わせる芸に移った。夢声は、大辻の話術に新しい時代の話し手としての才能を見ていたという。一人で客席に向かって語る弁士の技術が、そのまま新しい芸の土台になった。
漫談はその後、東京では牧野周一、ケーシー高峰、綾小路きみまろ、ぺぺ桜井、上方では西条凡児らに受け継がれた。三味線やギター、ウクレレを抱えて歌いながら進める形もある。
綾小路きみまろとテープの客
綾小路きみまろは1950年に鹿児島県で生まれ、1972年からキャバレーの専属司会者を務めた。1979年に日劇で漫談家としてデビューし、森進一や小林幸子らのコンサートの司会も担当した。そのころ、サービスエリアで休んでいる観光バスに自作の漫談テープを配っていたという。2002年に出た『爆笑スーパーライブ第1集! 中高年に愛を込めて…』は、ウィキペディアによれば160万枚が売れ、オリコンの最高順位は3位だった。中高年の人生の悲哀を笑いにする芸風で「中高年のアイドル」と呼ばれる。
一人コント、フリップ、あるある
今のピン芸にはいくつかの型がある。日常の矛盾を指摘する漫談の型、身近な「あるある」や自分の不幸を語って共感を誘う型、ツッコミ役のいない一人コント、一人で何役も演じ分ける一人芝居、スケッチブックやフリップをめくって見せる芸、物まねや形態模写から独自の芸に育てたもの、などである。陣内智則は、セットやエキストラ、映像や音声を用意して、それに一人で反応する一人コントを作った。これはフリップ芸を発展させた形とされる。
日本の芸人の多くはコンビやグループで出発し、解散や相方の引退をきっかけに一人になる。R-1に出るために一部のメンバーが一人で活動する例もある。
2003年に始まった『エンタの神様』は、陣内智則、小島よしお、なだぎ武、波田陽区、ヒロシ、長井秀和らを起用した。ネタに字幕や注釈をつけ、笑い声を足す演出には賛否があった。R-1の名前のRは、もともと落語を意味していた。優勝者には、だいたひかる(2002年)、ほっしゃん。(2005年)、なだぎ武(2007年と2008年の連覇)、佐久間一行(2011年)、ハリウッドザコシショウ(2016年)、濱田祐太郎(2018年)らがいる。
なぜ受けたのか
漫談が生まれたのは、震災で映画館が止まり、話のうまい弁士が新しい舞台を探していた時期にあたる。2000年代のピン芸人の流行は、テレビが短いネタを次々に見せる番組を作ったことと重なる。一人の芸は、決め台詞や見た目で短い時間に覚えてもらいやすい。一方、綾小路きみまろのように、テレビではなくテープとCDで客を広げた例もある。
評価の分かれる点
漫談の始まりについて、ウィキペディアの「漫談」の項は、トーキー(音の出る映画)が広まって職を失った弁士が寄席に出たのが発端だとする。「大辻司郎」の項は、関東大震災で映画館が使えなくなったことを転機に挙げている。前者は弁士という職業全体の衰えを、後者は大辻個人の転機を指しているとも読めるが、どちらを「始まり」とするかは資料で食い違っている。
くらさんの考察
一人の芸は、相方とのやりとりで笑いを作れないぶん、客席そのものを相手にする。弁士出身の漫談も、きみまろの中高年いじりも、客の暮らしをネタにして客に直接話しかける点で共通していると考えられる。一人コントやフリップ芸は、見えない相手や絵を「もう一人」として舞台に立てる工夫であり、ツッコミ役の不在を埋める仕掛けと見ることもできる。
ジージへの問いかけ
・ケーシー高峰や綾小路きみまろの漫談を、劇場やテレビで見たことはありますか
・一人の芸人とコンビの芸人では、どちらが長く印象に残ると思いますか
・『エンタの神様』のように字幕つきでネタを見せる番組を、どう感じましたか
出典
・ウィキペディア「ピン芸人」 https://ja.wikipedia.org/wiki/ピン芸人
・ウィキペディア「漫談」 https://ja.wikipedia.org/wiki/漫談
・ウィキペディア「大辻司郎」 https://ja.wikipedia.org/wiki/大辻司郎
・ウィキペディア「古川ロッパ」 https://ja.wikipedia.org/wiki/古川ロッパ
・ウィキペディア「綾小路きみまろ」 https://ja.wikipedia.org/wiki/綾小路きみまろ
・ウィキペディア「エンタの神様」 https://ja.wikipedia.org/wiki/エンタの神様
・ウィキペディア「R-1グランプリ」 https://ja.wikipedia.org/wiki/R-1グランプリ
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