No.36新着 講談・浪曲・漫談 落語の隣で語り継がれてきた話芸
講談は張り扇で釈台を叩きながら軍記や武勇伝を読む芸、浪曲は三味線の伴奏で節をつけて語る芸である。どちらも明治から昭和の初めに全盛を迎え、浪曲はラジオで最も好まれる番組になったが、戦後のテレビの時代に衰えた。近年は講談の神田伯山、浪曲の玉川太福らが新しい客を呼び、浪曲から初の人間国宝も出た。
本文と出典
あらまし
寄席で演じられる語りの芸は落語だけではない。講談は、演者が釈台という机の前に座り、張り扇で台を叩いて調子を取りながら、軍記や武勇伝を「読む」芸である。浪曲(浪花節)は、浪曲師が節をつけて語り、曲師と呼ばれる三味線弾きがそれを支える。どちらも明治から昭和の初めにかけて全盛を迎え、落語をしのぐ人気を持った時期もあった。大正の終わりには、話だけで笑わせる漫談も生まれた。
主なできごと
・18世紀前半(宝永年間) 公許の常設小屋で講談が上演されるようになり、「講釈」と呼ばれる
・明治時代 「講釈」が「講談」と呼ばれるようになる。明治末には立川文庫などの講談本が流行する
・1905年 東京の浪曲師の数が落語家や講談師を上回る
・1907年 桃中軒雲右衛門が本郷座で義士伝を演じて大評判になる。このころ東京の浪曲師は448名に達する
・1924年 活動弁士の大辻司郎が「漫談」という言葉を作る
・1932年 全国ラジオ調査で、浪曲が聴取者の好む番組の第1位(57%)になる
・1970年 浅草の木馬館が浪曲の定席「木馬亭」になる
・1980年 東京の講談界が再統一され、講談協会が発足する
・2002年 6代目一龍斎貞水が講談師として人間国宝に認定される
・2020年 神田松之丞が真打に昇進し、6代目神田伯山を襲名する
・2024年 2代目京山幸枝若が浪曲師として初めて人間国宝に認定される
講談 読み物の芸
講談の源流は、神道の講釈、仏教の説法、室町時代以降の「太平記読み」とされる。江戸の中ごろに常設の小屋で演じられるようになり、江戸末期から明治にかけて全盛を迎えた。明治には政治講談や新聞講談も生まれ、明治末には立川文庫などの講談本が人気を集めた。講談本で成長した出版社が講談社である。
その後は浪花節や漫才の台頭、大衆メディアの発達で次第に衰えた。戦後はGHQが仇討ちや忠孝ものの上演を禁じ、テレビの普及がさらに追い打ちをかけた。上方の講談は、戦後には2代目旭堂南陵とその子の二人だけという状態になった。
近年の若手講談師は女性が中心で、入門者も女性が圧倒的に多い。講談協会では1988年から2012年まで男性の真打が出なかった。その中で、2007年に3代目神田松鯉に入門した神田松之丞は、二ツ目のうちから数百人の会場を満員にし、2020年2月に真打昇進と同時に6代目神田伯山を襲名した。同じ年に始めたYouTubeチャンネル「神田伯山ティービィー」は、ギャラクシー賞テレビ部門のフロンティア賞を受けている。
浪曲 節と三味線の芸
浪曲は、浄瑠璃、説経節、祭文語りなどを土台に、大道芸として始まったとされる。江戸後期には「ちょんがれ」やデロレン祭文といった門付けの芸が合流した。明治の初めに寄席に進出し、1907年には桃中軒雲右衛門が「武士道鼓吹」を掲げて義士伝を語り、人気は上流や中流の人々にまで広がった。1943年ごろには全国に約3000名、東京だけで約1000名の浪曲師がいたとされる。
全盛を支えたのはラジオとレコードである。1925年に始まったラジオで浪曲は人気番組になり、戦後の1951年に民放ラジオが始まると、2代目広沢虎造の「清水次郎長伝」が評判を呼んだ。1957年には「浪曲天狗道場」が聴取率23.8%を記録している。しかしテレビの普及でラジオ離れが進み、1972年にはNHK浪曲研究会が終わった。大阪では1984年に道頓堀の朝日座が、1999年に中座が閉じた。関東では、玉川福太郎から国本武春が入門するまで15年の空白があったという。
近年は、玉川太福が落語芸術協会に加わり、2025年1月に新宿末廣亭の夜の部でトリを務めた。2024年5月には玉川奈々福らも同協会の正会員になった。浪曲師が落語の寄席に出る場が広がっている。
なぜ受けたのか
講談と浪曲が明治に受けたのは、どちらも長い物語を続きもので聞かせる芸だったからだと考えられる。講談本が売れ、雲右衛門の義士伝が評判を呼んだのは、忠義や武勇の物語が近代国家の気分と合ったためとも考えられる。浪曲がラジオで第1位になったのは、声と三味線だけで成り立つ芸が、絵のないラジオに最も向いていたからだと考えられる。
評価の分かれる点
講談の衰えをGHQの上演禁止とテレビのどちらに強く求めるかは、資料によって重みが違う。また、近年の講談の注目を神田伯山一人の功績とみるかどうかも分かれる。伯山の受賞やラジオでの評価は確かめられるが、講談全体の客がどれだけ増えたかを示す数字は見つからなかった。
くらさんの考察
講談と浪曲は、どちらもメディアの変化に大きく揺さぶられた芸である。講談は本に、浪曲はラジオとレコードに乗って広がり、テレビの時代に客を失った。神田伯山がYouTubeで人を集めたことは、音と語りの芸が、テレビよりも自分の好きな時間に聞ける配信と相性がよいことを示しているとも考えられる。浪曲師が落語芸術協会に加わる動きは、定席の少ない浪曲が寄席という場を借りて客と出会い直す試みと見ることができる。
ジージへの問いかけ
・ジージが子どものころ、家のラジオから浪曲が流れていた記憶はありますか
・講談の「続きはまた次回」という語り方は、テレビの連続ドラマに似ていると思いますか
・若い女性の講談師や浪曲師が増えていることを、どう感じますか
出典
・ウィキペディア「講談」 https://ja.wikipedia.org/wiki/講談
・ウィキペディア「浪曲」 https://ja.wikipedia.org/wiki/浪曲
・ウィキペディア「神田伯山 (6代目)」 https://ja.wikipedia.org/wiki/神田伯山_(6代目)
・ウィキペディア「漫談」 https://ja.wikipedia.org/wiki/漫談
・ウィキペディア「大辻司郎」 https://ja.wikipedia.org/wiki/大辻司郎
この記事を読んで浮かんだ疑問は、運営者ジージがお笑いQAでくらさんに質問し、答えをそこに載せていきます。