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No.83新着 オレたちひょうきん族 漫才ブームの芸人たちが、作り込まない笑いで土曜8時を奪った

フジテレビの『オレたちひょうきん族』は1981年から1989年まで土曜20時に放送されたお笑い番組で、漫才ブームで売れた芸人たちがコントやパロディを演じた。1982年10月に初めて裏番組の『8時だョ!全員集合』を視聴率で上回り、1985年の同番組の終了につながったとされる。

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登録日時
2026年10月23日 23:51
出典を確かめた日
2026年10月23日
分野
名作を読む
立場
事実・データ
タグ
コント新着テレビ新着東京新着数字・統計新着
芸人・番組
オレたちひょうきん族、ビートたけし、明石家さんま、島田紳助、横澤彪、三宅恵介
資料の種類
事典・概説
年代
1981〜1989年

本文と出典

あらまし

『オレたちひょうきん族』はフジテレビ系列で土曜20時から54分間放送されたお笑いバラエティである。
1981年5月16日に特別番組として始まり、同年10月にレギュラー番組になった。
ビートたけし、明石家さんま、島田紳助、片岡鶴太郎、山田邦子、西川のりお、ぼんちおさむらが出演し、コントや他の番組のパロディを演じた。
裏番組はTBSの『8時だョ!全員集合』で、土曜8時の視聴率争いは1980年代前半のテレビの大きな話題になった。

主なできごと

・1980年 フジテレビの横澤彪が特番『THE MANZAI』を手がけ、漫才ブームが起きる。10月に昼の『笑ってる場合ですよ!』が始まる
・1981年 5月16日に特番として放送開始。10月にレギュラー化
・1982年 10月9日、初めて『全員集合』を視聴率で上回る。ディレクター陣が「ひょうきんディレクターズ」としてレコードを出す
・1984年 年度の平均視聴率が19.5%となり、『全員集合』の18.2%を上回る
・1985年 9月に『全員集合』が終了。12月28日のスペシャルで最高29.1%
・1986年 2月15日に通常回の最高27.3%。10月に裏で『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』が始まる。12月にたけしが事件を起こして謹慎
・1987年 視聴率が下がり始める。9月からプロデューサーが横澤彪から三宅恵介に替わる
・1989年 10月7日に生放送の「グランドフィナーレ」、10月14日に最終回

作り手と出演者

番組を立ち上げたのはフジテレビの横澤彪で、1980年の『THE MANZAI』でツービートや島田紳助、松本竜介らを世に出し、漫才ブームを仕掛けた人物である。
同じ年に始まった昼の生放送『笑ってる場合ですよ!』にも、ツービート、紳助・竜介、明石家さんま、山田邦子、ヒップアップ、ザ・ぼんちらが出ていた。
ひょうきん族の顔ぶれの多くは、このブームの中で売れた芸人たちと重なる。
横澤彪は1982年には昼の『笑っていいとも!』の初代プロデューサーも務め、1995年にフジテレビを辞めた後は吉本興業の東京支社長や専務取締役を務めた。
プロデューサーは初回から1987年8月まで横澤彪、その後は最終回まで三宅恵介が務め、ディレクターには佐藤義和、永峰明、荻野繁、三宅恵介、山縣慎司らが並んだ。

コーナーとキャラクター

番組からは「タケちゃんマン」「ブラックデビル」「鬼瓦権造」「アミダばばあ」「ナンデスカマン」など多くのキャラクターが生まれ、事典にも代表として「タケちゃんマン」と「ブラックデビル」が挙げられている。
コーナーでは、歌番組の名を借りた「ひょうきんベストテン」や「ひょうきん懺悔室」がよく知られる。
ディレクター陣も1982年に「ひょうきんディレクターズ」としてレコードを出しており、作り手そのものが番組の名物として扱われた。

全員集合との競争

ひょうきん族は1982年10月9日の放送で、初めて『全員集合』の視聴率を上回った。
1984年度の年間平均ではひょうきん族が19.5%、全員集合が18.2%となり、翌1985年9月に全員集合は終わった。
8年半の平均は関東地区で17.8%、最高は1985年12月28日のスペシャルの29.1%である。

なぜ受けたのか

『全員集合』が作り込んだセットのコントを公開生放送で見せたのに対し、ひょうきん族はコントや他の番組のパロディに、漫才ブームで売れた芸人の個性をそのまま持ち込んだ。
漫才ブームで芸人の素顔や個性が注目されるようになっていたため、役を演じながらも芸人本人の顔が透けて見える笑いが面白がられたと考えられる。
作り手まで名物にした作りは、子ども向けの分かりやすさより、芸人と作り手の内輪の空気をのぞき見る楽しさを前に出したものだったと考えられる。

終わりかた

1986年10月に加藤茶と志村けんの『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』が裏で始まったこと、同年12月にたけしが「フライデー襲撃事件」で謹慎したこと、紳助の入院などが重なり、1987年から視聴率が下がった。
末期には1桁の回も増えた。
裏番組の『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』は、『全員集合』で戦った加藤茶と志村けんの番組であり、土曜8時の争いは形を変えて続いたことになる。
1989年、フジテレビは今後をたけしとさんまに委ね、さんまが終わらせる意向を示したことで終了が決まった。
10月7日に生放送の「グランドフィナーレ」を行い、10月14日の最終回は「タケちゃんマン忠臣蔵」で締めくくった。
特番時代を含めて8年5か月の放送だった。

くらさんの考察

ひょうきん族は、ドリフのような「劇団としてのコント」から、個々の芸人の人柄を売る笑いへの切り替わりを示した番組と考えられる。
作り手のディレクターまで画面に出したことは、テレビの裏側を見せること自体を笑いにする手法で、のちのバラエティ番組にも受け継がれている。
一方で、その笑いは出演者の勢いに強く頼っていたため、中心の芸人が欠けると立て直しが難しかったと考えられる。

ジージへの問いかけ

・ジージは土曜の夜、『全員集合』と『ひょうきん族』のどちらを見ていましたか
・タケちゃんマンとブラックデビルのやり合いは、それまでのコントとどこが違うと感じましたか
・漫才ブームの芸人がコントを演じることに、当時違和感はありましたか

出典

・ウィキペディア「オレたちひょうきん族」 https://ja.wikipedia.org/wiki/オレたちひょうきん族
・コトバンク「オレたちひょうきん族」(デジタル大辞泉プラス) https://kotobank.jp/word/%E3%81%8A%E3%82%8C%E3%81%9F%E3%81%A1%E3%81%B2%E3%82%88%E3%81%86%E3%81%8D%E3%82%93%E6%97%8F-1716341
・J-CASTニュース「『いいとも!』、『ひょうきん族』… バラエティ礎築いた横澤彪さん死去」2011年1月9日 https://www.j-cast.com/2011/01/09085154.html?p=all
・ウィキペディア「笑ってる場合ですよ!」 https://ja.wikipedia.org/wiki/笑ってる場合ですよ!
・ウィキペディア「8時だョ!全員集合」 https://ja.wikipedia.org/wiki/8時だョ!全員集合

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