No.82新着 8時だョ!全員集合 毎週の公開生放送で、ドリフのコントが土曜8時を占めた16年
TBSの『8時だョ!全員集合』は1969年から1985年まで土曜20時に放送された、ザ・ドリフターズのコント番組である。全国のホールから毎週公開生放送を行い、1973年4月7日には関東で50.5%(ビデオリサーチ)という、バラエティ番組として史上最高とされる視聴率を記録した。
本文と出典
あらまし
『8時だョ!全員集合』はTBS系列で毎週土曜20時から放送されたコントバラエティである。
企画は渡辺プロダクション、製作著作はTBSで、ザ・ドリフターズが中心に出演した。
放送は1969年10月4日から1985年9月28日までで、途中に半年の中断をはさみ、全803回を数える。
毎週、全国各地の公会堂などのホールに客を入れて生放送する形をとり、平均視聴率は27.3%に達した。
主なできごと
・1969年 10月4日に放送開始。プロデューサーは居作昌果(1982年まで)
・1971年 4月から9月まで中断。ドリフの予定の都合で、ハナ肇とクレージーキャッツ中心の『8時だョ!出発進行』が入る。10月2日に再開
・1973年 4月7日に50.5%(ビデオリサーチ、関東地区)。12月に志村けんが見習いとして出演
・1974年 3月30日で荒井注が脱退。4月から志村けんが正式メンバーに
・1976年 志村けんの「東村山音頭」が大ヒット
・1978年 日本PTA全国協議会が放送中止を求める
・1982年 10月9日、裏番組の『オレたちひょうきん族』に初めて視聴率で抜かれる
・1983年 8月13日に9.2%で初めて1桁になる
・1984年 10月以降はTBS本社のスタジオからの放送が中心になる
・1985年 9月28日に終了
番組の組み立て
番組は、前半にドリフの大がかりなセットを使ったコント、中盤にゲスト歌手の歌、後半に少年少女合唱隊のコーナーやショートコントを置く組み立てだった。
前半のコントは、リーダーのいかりや長介が仕切り役になり、加藤茶、高木ブー、仲本工事、荒井注(のちに志村けん)がそれに逆らったり失敗したりする形で笑いを作った。
頭の上に金だらいが落ちてくる仕掛けや、加藤茶の「ちょっとだけよ」、志村けんと加藤茶のヒゲダンスは、番組の定番として事典にも挙げられている。
生放送で客の前に立つため、停電やセットの故障、出演者のけがといった思わぬ出来事も起きた。
1980年代前半までは、ドリフの休暇などで録画放送になる回もあった。
放送枠は土曜20時からの1時間弱で、時期によって56分、55分、54分と長さが変わった。
番組を企画したのはドリフが所属していた渡辺プロダクションで、TBSが製作著作を持ち、プロデューサーの居作昌果が1969年から1982年まで番組を率いた。
1971年春からの半年は、ドリフの予定がとれず、同じ事務所のハナ肇とクレージーキャッツを中心にした『8時だョ!出発進行』が同じ枠を埋めている。
メンバーの入れ替わり
1974年の荒井注の脱退と志村けんの加入は、番組の中身を大きく動かした。
志村けんは1973年12月から見習いとして出演し、1974年4月に正式メンバーとなった。
1976年には志村けんの「東村山音頭」が大ヒットし、加藤茶とのヒゲダンスも広く知られた。
志村けんは2020年3月29日に、仲本工事は2022年10月19日に亡くなっている。
なぜ受けたのか
1970年代の土曜の夜は、家族がテレビの前にそろう時間だった。
『全員集合』のコントは、言葉の掛け合いより、転ぶ、落ちる、追いかけるといった体の動きで笑わせるものが多く、子どもにも大人にも同じように伝わった。
加えて、毎週違う街のホールから生放送することで、客席の子どもたちの声がそのまま茶の間に届き、テレビの前の視聴者も会場にいるような感覚を持てたと考えられる。
評価の分かれる点
子どもの人気が高かった一方で、下品な笑いや食べ物を粗末に扱う場面があるとして批判も受け、1978年には日本PTA全国協議会が放送中止を求めた。
子どもに受ける笑いと、行き過ぎとの境目をどこに置くかは、見る人の立場によって受け止め方が分かれるところである。
終わりかた
1980年代に入ると、フジテレビの『オレたちひょうきん族』が裏番組として追い上げ、1982年10月9日に初めて視聴率で抜かれた。
1984年10月からはTBS本社のスタジオ中心に移り、1985年9月28日に終了した。
TBSは終了の理由を、公開形式の生放送を続けることに限界があったと説明している。
翌1986年10月、加藤茶と志村けんは同じ土曜20時に『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』を始め、今度はひょうきん族の視聴率を押し下げる側に回った。
くらさんの考察
『全員集合』の強さは、作り込んだセットのコントを、やり直しのきかない生放送で毎週見せた点にあったと考えられる。
準備に手間がかかる大きな仕掛けを、客の反応を見ながら一発勝負で演じるので、失敗さえも笑いになった。
ただ、その作り方は人と時間を大量に使う。
ひょうきん族のような、楽屋の雰囲気やアドリブを見せる笑いが出てきたとき、手間のかかる生放送のコントを続ける負担は重くなっていったと考えられる。
ジージへの問いかけ
・ジージは『全員集合』を家族とどんなふうに見ていましたか
・荒井注がいたころと、志村けんが入ってからのドリフでは、笑いの中身が変わったと感じましたか
・PTAの批判は、当時の大人の目から見て納得のいくものだったでしょうか
出典
・ウィキペディア「8時だョ!全員集合」 https://ja.wikipedia.org/wiki/8時だョ!全員集合
・コトバンク「8時だョ!全員集合」(デジタル大辞泉プラス) https://kotobank.jp/word/8%E6%99%82%E3%81%A0%E3%82%88%E5%85%A8%E5%93%A1%E9%9B%86%E5%90%88-1717710
・ウィキペディア「ザ・ドリフターズ」 https://ja.wikipedia.org/wiki/ザ・ドリフターズ
・ウィキペディア「オレたちひょうきん族」 https://ja.wikipedia.org/wiki/オレたちひょうきん族
この記事を読んで浮かんだ疑問は、運営者ジージがお笑いQAでくらさんに質問し、答えをそこに載せていきます。