ver0.92

← 名作を読む一覧へ戻る

No.237新着 大正テレビ寄席 渋谷の映画館で客を入れて収録し、牧伸二の司会で15年続いた日曜昼の演芸番組

『大正テレビ寄席』は、1963年6月12日から1978年6月25日までNETテレビ(現・テレビ朝日)系列で放送された公開演芸番組である。司会は牧伸二。渋谷の映画館で客を入れて収録し、「5秒間に1回笑わせる」ことを方針にした。映像の多くは残っていない。

𝕏 でポストする

登録日時
2026年11月5日 18:21
出典を確かめた日
2026年11月5日
分野
名作を読む
立場
事実・データ
タグ
落語新着漫才新着コント新着東京新着寄席・劇場新着テレビ新着
芸人・番組
大正テレビ寄席、牧伸二、山下武、ザ・ドリフターズ、コント55号、日曜演芸会
資料の種類
事典・概説
年代
1963〜1978年

本文と出典

あらまし

『大正テレビ寄席』は、1963年6月12日から1978年6月25日まで、NETテレビ(日本教育テレビ。現在のテレビ朝日)系列で放送された演芸番組である。15年続いた。後半は大正製薬の一社提供で、番組名にもその名がある。
司会はウクレレ漫談の牧伸二。1960年代後半に始まった番組と思われがちだが、ウィキペディアの記載では開始は1963年である。
収録は東京・渋谷の東急文化会館の地下にあった映画館で、客席に客を入れて行われた。落語、漫才、コント、コミックバンド、ものまねなど、種類の違う芸を30分から45分の枠に詰め込んだ番組である。

主なできごと

・1963年6月12日 水曜12時15分から30分の番組として放送開始
・1963年10月13日 日曜12時からの45分枠に移る
・1966年5月22日 最高視聴率36.4%を記録したとウィキペディアは記す
・1965〜1968年 大晦日に『笑って笑って大合戦』が制作される(紅白歌合戦の裏番組。同時間帯の民放で7%台とされる)
・1978年6月25日 最終回。15年の歴史に幕を下ろす

くわしく 番組の作りと司会

制作は山下武と畑野栄三。ウィキペディアによれば、山下は寄席の形にこだわらない「モダン寄席」をめざし、「5秒間に1回笑わせる」という方針を掲げた。出演者も寄席の外から探したとされ、キャバレーやジャズ喫茶で芸を見せていた人も呼んだ。
構成は、芸人3組(開始当初は2組)とアトラクションである。落語家は立ったまま演じるのが基本で、字幕では「立体落語」と紹介された。座って語る本格的な高座の中継や大喜利は、同じ日曜の後続番組『日曜演芸会』が受け持った。
司会の牧伸二は1934年生まれ。ハワイアンの曲に時事の風刺を乗せるウクレレ漫談で知られ、1960年に文化放送のラジオ番組『ウクレレ週刊誌』で人気を得た(コトバンク、ウィキペディア)。始まった当初は、牧のネタを書いていた三笑亭笑三との二人司会で、約3か月後に牧ひとりになった。牧はこの番組の司会で名を広げ、ウィキペディアは「出世作」と記している。
名物は「マキシンのバーゲンセール」である。牧がチャリティーのオークションを開き、売り上げは「あゆみの箱」に寄付された。ほかに、日本テレビの子ども番組『ロンパールーム』をもじった「マキシンのロンパリルーム」があった。後期には、2分間で商品をかごに入れて持ち帰る「100円均一・つかみ取り大会」や、じゃんけんで3人に勝つと自転車がもらえる「チュー拳 勝抜き大合戦」も加わった。

くわしく 出た芸人と、残っていない映像

出演者の名前として、ウィキペディアには落語の林家三平、古今亭志ん朝、立川談志、桂歌丸、漫才のWけんじ、横山やすし・西川きよし、夢路いとし・喜味こいし、コント55号、てんぷくトリオ、ザ・ドリフターズなどが挙がっている。マックボンボン時代の志村けんの名も出ている。同項は、若手が世間に認められる登竜門だったと説明する。
同じ項によると、映像の多くは上書きされて現存しない。2009年に回顧の特番が作られたときも、多くはスチール写真で紹介された。番組を実際に見られる機会が少ないぶん、後から語られる像が、当時の放送そのものよりも、出演者の回想や資料に寄っている点は踏まえておきたい。
終了後の1978年には、『牧伸二芸能生活25周年記念特番・帰ってきたテレビ寄席』が単発で放送され、バーゲンセールとつかみ取りが復刻された。「ロンパリ」は斜視への蔑称にあたる言い方なので、この特番では行われなかったとされる。

なぜ受けたのか

ウィキペディアに、人気の理由を直接分析した記述はない。確かめられる材料から整理すると、次の三つが挙がる。
一つめは、客席の厳しさである。収録は、同じ館で行われていた演芸興行「お笑い横丁」の一部という位置づけで、客の目が厳しく、「ゆるい」笑いは許されなかったとされる。客が笑わなければ笑いが取れないまま放送に乗るので、芸人は一つ一つのくすぐりを短く強く打つ必要があった。
二つめは、芸の並べ方である。落語、漫才、コント、歌と音楽を30分や45分の中で次々に替えると、画面の前の人は、気に入らない芸があっても長く待たずに次を見られる。「5秒に1回」という方針は、この並べ方に合っている。
三つめは、昼のお茶の間に向いた参加型のコーナーである。バーゲンセールやつかみ取りは、芸の巧拙より、牧と客のやり取りの勢いで見せる。落語の筋を知らない子どもにも、何をしているかは分かる。

評価の分かれる点

関西での受け止めが分かれる。ウィキペディアによれば、毎日放送(MBS)は視聴率の低迷を理由に放送の打ち切りを決め、当時の社長の高橋信三が、江戸の笑いは関西で受け入れられにくいという趣旨を述べたとされる。関西では1963年6月から10月まで毎日放送でも放送された。東京の演芸を全国に広げた番組として語られる一方、上方の客には合いにくかった可能性があるが、これが笑いの好みの違いなのか、放送枠や時間帯の事情なのかは、今回開いた資料だけでは確かめきれなかった。
番組が演芸ブームの牽引役だったという説明も、ウィキペディアの記述である。ブームの原因をひとつの番組に求めてよいかは、同じ時期の『てなもんや三度笠』や『笑点』など、ほかの番組との比べ方による。

くらさんの考察

『大正テレビ寄席』は、寄席をテレビに移した番組というより、寄席の芸をテレビの時間の長さに合わせて切り直した番組だったと考えられる。立ったまま演じる「立体落語」が、その象徴である。座って語る高座は、同じ日曜の『日曜演芸会』に任された。落語を二つの番組で分担したことになる。
落語家、漫才師、コミックバンド、コントグループが同じ枠に並んだことで、東京のボードビルの顔ぶれを、15年にわたって茶の間に見せ続けたと考えられる。ただし映像が残っていない以上、一つ一つの回で何がどう受けたかを、いまの私たちが確かめる方法は限られている。

ジージへの問いかけ

・日曜の昼に家族でテレビを囲んで見た記憶はあるでしょうか。バーゲンセールのような客を巻き込むコーナーは、当時どう映りましたか。
・立ったまま演じる「立体落語」を、寄席で座って聞く落語と比べて、どう感じたでしょうか。
・牧伸二のウクレレ漫談が、今の時事ネタの芸と違っていたところは何だと思いますか。

出典

・大正テレビ寄席(ウィキペディア) https://ja.wikipedia.org/wiki/大正テレビ寄席
・牧伸二(ウィキペディア) https://ja.wikipedia.org/wiki/牧伸二
・牧伸二(コトバンク) https://kotobank.jp/word/牧伸二

この記事を読んで浮かんだ疑問は、運営者ジージがよろず研究室でくらさんに質問し、答えをそこに載せていきます。