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No.241新着 ボーイズもの 楽器を抱えて歌と笑いを見せる芸が、浅草の舞台から寄席の色物へ移ってきた道のり

ボーイズものは、ギターや三味線、アコーディオンなどを持った数人が、歌と演奏と掛け合いで笑わせる演芸である。1937年に浅草の吉本ショウで生まれたあきれたぼういずが始まりとされ、名前もそこから来ている。戦後は多くのグループが生まれ、いまは落語芸術協会の東京ボーイズなどが寄席の色物として続けている。

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登録日時
2026年11月6日 18:24
出典を確かめた日
2026年11月6日
分野
ジャンル
立場
くらさんの考察
タグ
寄席・劇場新着東京新着講談・浪曲新着吉本興業新着テレビ新着
芸人・番組
あきれたぼういず、川田晴久、灘康次とモダンカンカン、シャンバロー、東京ボーイズ、玉川カルテット
資料の種類
事典・概説
年代
1937年〜現在

本文と出典

あらまし

ボーイズものは、楽器を使った音楽ショウの形をとる演芸である。ウィキペディアは「ボーイズ物」「ボーイズ芸」とも呼ぶと記し、漫才師の音曲漫才や、コミックバンドの音楽コントとは区別される形だと説明する。
始まりとされるのは、1937年に浅草花月劇場の「吉本ショウ」で旗揚げした、あきれたぼういずである。芸の呼び名は、このグループの名前から来た。東京では「ボーイズ」と呼ぶのがふつうで、上方では「○○ショウ」と名のることが多かったという。
いまの東京の寄席では、落語芸術協会の名簿で東京ボーイズが芸種「ボーイズ」、階級「色物」として載っている。落語の合間に出る色物の一つとして、この芸は残っている。

主なできごと

・1935年 吉本興業が浅草六区に浅草花月劇場を開き、レビュー「吉本ショウ」が始まる
・1937年 川田義雄、坊屋三郎、芝利英、益田喜頓があきれたぼういずを結成
・1938年 ビクターからSP盤を出して人気が全国に広がる(最初のテスト盤は内務省の検閲で発売禁止)
・1939年 新興キネマ演芸部の引き抜きで川田以外の3人が移り、第1次は消える。川田はミルクブラザーズを結成
・1941年 対英米戦争に入り、ジャズは自粛の対象に。グループ名も「新興快速舞隊」に変わる
・1950年 三味線とアコーディオンのシャンバローが名のりを改める(前身は1947年ごろのちゃっかりトリオ)
・1951年 あきれたぼういずが解散
・1958年 川田晴久の直弟子の灘康次が、灘康次とモダンカンカンを結成
・1965年 東京ボーイズが結成。同じ年に東京ボーイズ協会(いまのボーイズ・バラエティー協会)が発足
・1965年 浪曲を土台にした玉川カルテットがそろう
・2019年 灘康次が死去。協会は一般社団法人になる

くわしく あきれたぼういずが持ち込んだもの

あきれたぼういずの舞台は、ジャズ、オペラ、軍歌、浪曲、歌舞伎の節を次々につなぎ、マルクス兄弟やバスター・キートンのような体を使った喜劇も混ぜたものだったとウィキペディアは記す。日本大百科全書は、川田義雄がギターを持って歌う「歌謡漫談」の先駆になったとする。
人気を押し広げたのはレコードである。1938年12月にビクターから出したSP盤は、総売上20万枚以上とされる。
ただし、グループとしての形は2年ほどで崩れた。1939年春、新興キネマ演芸部が吉本の芸人を大量に引き抜き、坊屋、芝、益田の3人が移った。3人は山茶花究を加えて第2次あきれたぼういずを組み、川田は別にミルクブラザーズを作った。一つの人気グループが二つに割れ、似た芸が二か所で演じられるようになった。ウィキペディアは、このあとハリキリボーイズやミルクブラザーズなどが続いたと記す。
戦争はこの芸に重かった。1941年12月以降、ジャズは敵性音楽として自粛され、台詞にも制限がかかった。芝利英は召集され、1945年に中国で戦死した。

くわしく 戦後の担い手と、寄席への定着

戦後は、川田の芸を受け継ぐ流れと、邦楽を土台にする流れが並んだ。灘康次は川田晴久の直弟子で、1958年にモダンカンカンを結成し、「川田節」などを引き継いだ。シャンバローは長唄出身の三味線弾きとアコーディオン奏者を組み合わせ、邦楽から歌謡曲までこなして笑いを取った。1968年には芸術祭奨励賞を受けている。
シャンバローの弟子筋から生まれたのが東京ボーイズである。1965年に旭しげる、菅ひさし、峰さかえの3人で結成し、1971年に仲八郎が加わった。リーダーの旭五郎(旧名しげる)は2007年に亡くなり、以後は三味線の菅六郎とウクレレの仲八郎の二人で続けている。落語芸術協会の名簿では、2026年11月から12月にかけて新宿末廣亭や浅草演芸ホールの定席に出る予定が載っている。
浪曲から来た流れもある。玉川カルテットは、3代目玉川勝太郎に入門した玉川ゆたかを初代リーダーとし、1965年に4人がそろった。ウィキペディアは「ボーイズ」スタイルの浪曲漫才と呼ぶ。三味線の速弾きとギター、節回しで、玉川一門が得意とした任侠ものを笑いに仕立てた。
1965年には、この種の芸人の集まりとして東京ボーイズ協会が発足した。初代会長は音曲漫談の柳家三亀松で、2代目はあきれたぼういずの坊屋三郎、3代目が灘康次である。いまのボーイズ・バラエティー協会は、浅草の東洋館で奇数月の下席を定席として受け持っている。

なぜ受けたのか

あきれたぼういずが受けた理由を資料から整理すると、三つが挙がる。一つは、レビューの舞台で生まれたことである。吉本ショウは歌と踊りの出し物だったので、演奏しながら笑わせる芸は客に受け入れられやすかったと考えられる。二つめは、ジャズから浪曲まで客が耳で知っている節を並べたことである。知っている曲が思わぬ方向へ崩れると、筋を追わなくても笑える。三つめはレコードで、20万枚以上という数字は、芸が劇場の外へ出た規模を示している。
戦後に寄席へ根を下ろしたのは、色物としての使い勝手によると考えられる。落語が続く番組の中に、楽器の音と数人の掛け合いが入ると、客の耳の向きが変わる。東京ボーイズが三味線とウクレレの二人になっても定席に出続けていることは、大人数でなくてもこの役目が果たせることを示している。

評価の分かれる点

どこまでを「ボーイズ」に入れるかは、資料によって線の引き方が違う。ウィキペディアの「ボーイズ(演芸)」は、コミックバンドの音楽コントとは区別するとしながら、戦後の系譜はクレージーキャッツやドリフターズにつながるとも書く。楽器を持つ笑いの集団を一つの流れと見るか、寄席の色物としてのボーイズに限るかで、名前の挙がるグループは変わる。
同じ項は、平成に入って演者と客の両方が年をとり、内容が懐かしさを売りにしたものにまとまったとも記す。一方で、ポカスカジャンやさんしろう吹奏楽部のように、楽器と歌を使う新しい芸人もいまの担い手として挙げている。衰えた芸と見るか、形を変えて続いている芸と見るかは、どこまでを同じ芸と数えるかによる。

くらさんの考察

ボーイズものは、演奏の腕と笑いの腕の両方を一つの舞台に載せる芸である。そのぶん、メンバーが抜けると芸の形がすぐ崩れる。あきれたぼういずが引き抜きで割れ、戦争で一人を失い、東京ボーイズが3人から2人になった歴史は、この芸が人のつながりに強く依存していることを示していると考えられる。
それでも続いてきたのは、師匠から弟子へ節と楽器を手渡す道筋が、川田晴久から灘康次へ、シャンバローから東京ボーイズへと残っていたからだろう。寄席の色物という置き場があったことも大きい。演芸場の番組表に「ボーイズ」という芸種の名が残っているかぎり、この芸の形は引き継がれる余地があると考えられる。

ジージへの問いかけ

・『大正テレビ寄席』などで、ギターや三味線を抱えたグループを見た記憶はあるでしょうか。どのグループが印象に残っていますか。
・浪曲の節を笑いに使う玉川カルテットのような芸は、浪曲そのものを聞いていた世代にはどう聞こえたでしょうか。
・クレージーキャッツやドリフターズを、寄席のボーイズと同じ流れの芸と感じていましたか、それとも別物と感じていましたか。

出典

・ボーイズ (演芸)(ウィキペディア) https://ja.wikipedia.org/wiki/ボーイズ_(演芸)
・あきれたぼういず(ウィキペディア) https://ja.wikipedia.org/wiki/あきれたぼういず
・川田晴久(コトバンク) https://kotobank.jp/word/川田晴久
・灘康次とモダンカンカン(ウィキペディア) https://ja.wikipedia.org/wiki/灘康次とモダンカンカン
・シャンバロー(ウィキペディア) https://ja.wikipedia.org/wiki/シャンバロー
・東京ボーイズ(ウィキペディア) https://ja.wikipedia.org/wiki/東京ボーイズ
・東京ボーイズ(落語芸術協会) https://www.geikyo.com/profile/detail?id=173
・玉川カルテット(ウィキペディア) https://ja.wikipedia.org/wiki/玉川カルテット
・ボーイズバラエティ協会(ウィキペディア) https://ja.wikipedia.org/wiki/ボーイズバラエティ協会

動画

・ボーイズ・バラエティー協会のあゆみ(ボーイズ・バラエティー協会)https://www.youtube.com/watch?v=E7eivHC7qkc

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