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No.243新着 ザ・ぼんち 高校の同級生が漫才ブームの旗手になり、解散と16年の空白を経て、結成50年超で上方漫才大賞に戻るまで

ザ・ぼんちは、大阪の高校の同級生ぼんちおさむと里見まさとが1972年に組んだ漫才コンビである。1980年の『THE MANZAI』で全国区になり、歌手としても「恋のぼんちシート」を売った。1986年に一時解散し、2002年に再結成した。2026年には上方漫才大賞で、1981年以来2度目の大賞に選ばれている。

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登録日時
2026年11月7日 18:21
出典を確かめた日
2026年11月7日
分野
芸人と作り手
立場
くらさんの考察
タグ
漫才新着上方新着テレビ新着吉本興業新着
芸人・番組
ザ・ぼんち、ぼんちおさむ、里見まさと、THE MANZAI、恋のぼんちシート、上方漫才大賞、THE SECOND
資料の種類
事典・概説
年代
1972〜2026年

本文と出典

あらまし

ザ・ぼんちは、ぼんちおさむと里見まさとの二人組である。ウィキペディアによれば、二人は大阪の興國高校の同級生で、コンビ名は山崎豊子の小説『ぼんち』にちなむ。おさむ(本名・長瀬修一)は1952年12月16日生まれの大阪市大正区出身、まさと(本名・里道和)は1952年4月25日生まれの兵庫県姫路市出身で、ネタ作りとツッコミを受け持つのはまさとである。
1980年代はじめの漫才ブームで、二人は最も目立つ存在の一組になった。その後1986年に一時解散し、2002年に再結成した。以後は舞台と賞レースの両方で活動を続け、2026年の上方漫才大賞では、1981年以来45年ぶりに大賞を受けた。

主なできごと

・1972年11月 高校の同級生の二人がコンビを結成
・1973年 「ザ・ぼんち」と改名し、3月になんば花月の中席で初舞台
・1975年 NHK上方漫才コンテストで優秀敢闘賞
・1978年 上方お笑い大賞の銀賞
・1979年 上方漫才大賞の新人賞
・1980年 フジテレビ『THE MANZAI』に出演(第1回の放送は4月1日)。ゴールデン・アロー賞の芸能新人賞と最優秀新人賞
・1981年1月1日 シングル「恋のぼんちシート」を発売(約80万枚、オリコン最高2位)
・1981年 7月21日に日本武道館で公演。花王名人大賞の最優秀新人賞(第1回)。第16回上方漫才大賞の大賞
・1986年 一時解散
・2002年 再結成。2003年2月21日に再結成後初の単独ライブ
・2014年 『THE MANZAI』の認定漫才師50組に選ばれる
・2018年 第73回文化庁芸術祭の大賞
・2024年 『THE SECOND』でベスト32
・2025年 『THE SECOND』でベスト8(グランプリファイナル)に進出
・2026年 第61回上方漫才大賞の大賞。5月22日放送のドラマ『ネタジョ』第4話に本人役で出演

くわしく 高校の同級生から全国区へ

ウィキペディアによれば、二人は師匠にタイヘイトリオを持ち、所属は松竹芸能、和光プロダクションを経て吉本興業になった。1973年の初舞台のあと、NHK上方漫才コンテストや上方お笑い大賞などの賞を重ねて、関西では知られた若手になっていった。
転機は1980年である。同項は、『花王名人劇場』と『THE MANZAI』に出た翌日、移動の飛行機で客室乗務員にサインを頼まれ、まさとは人生が変わったと感じた、という趣旨の話を記している。この年の新人賞を二人は複数受けた。ゴールデン・アロー賞では、芸能新人賞と最優秀新人賞を同時に受け、同項はこれを「最初で最後」の最優秀新人賞の受賞者になったと説明している。

くわしく 歌と武道館

1981年1月1日に出したのが「恋のぼんちシート」である。作詞作曲は近田春夫と鈴木慶一で、ウィキペディアによれば、約80万枚を売り、オリコンの最高位は2位だった。歌詞の中身はここでは書かない。漫才師の出したレコードが、その年のヒット曲の一つに数えられた点が大事である。
同年7月21日には日本武道館で公演を開いた。同項は、武道館でコンサートをした初の漫才師としている。レギュラーは週14本、静岡から山梨へヘリコプターで移動した、楽屋で点滴を打った、といった多忙ぶりの話も同項にある。衣装はアイビールックで、これが二人の目印になった。

くわしく 解散、空白、再結成

1986年の一時解散の理由として、ウィキペディアは、ブームの沈静化で仕事が減ったことと、芸の消耗が激しかったことを挙げる。おさむは俳優としてテレビドラマにも出た。まさとは同項によれば、俳優の仕事で収入が月7万円に落ち込む時期があり、1989年に亀山房代と別のコンビを組んだ。このコンビは1997年に上方お笑い大賞の金賞、1998年に上方漫才大賞を受けたが、2001年末に亀山の結婚と妊娠を機に円満に解散した。
日刊ゲンダイの2025年6月の記事は、その後の再結成を、まさとが50歳のときの出来事として伝えている。16年の空白は、思ったより復帰を難しくした。50歳に合った漫才をしなければならず、新しいマネージャーに鍛えられて、単独ライブや若手の出る劇場にも出るようになった。この流れが2024年の『THE SECOND』への挑戦につながった、と同記事は述べる。再結成の直接のきっかけについては、ほかの記事に家族の後押しや吉本興業からの提案といった話もあるが、今回は開いて確かめられなかったので書かない。

くわしく 近年の賞レースと大賞

ウィキペディアによれば、2014年の『THE MANZAI』で認定漫才師に選ばれて若手の熱気に感銘を受け、以後は若手中心のライブや学園祭にも積極的に出た。2024年は『THE SECOND』でベスト32に入り、開幕戦で285点を出したがハンジロウに2点差で敗れた。2025年はベスト32でモグライダーに勝ち、ベスト16ではハンジロウに再び当たって、タイムオーバーによる10点の減点を受けながら273点で勝ち上がり、ベスト8に入っている。
2026年の第61回上方漫才大賞では、ザ・ぼんちが大賞、金属バットが奨励賞、ぐろうが新人賞だった(上方漫才大賞のウィキペディア項目による。発表会は4月7日夜のテレビ放送)。1981年の第16回以来、2度目の大賞である。

なぜ受けたのか

1980年の『THE MANZAI』は漫才をゴールデン帯のテレビ番組として見せる企画で、若い客層が漫才を見に来る流れを作った。ぼんちは、アイビールックという分かりやすい見た目と、速いテンポの掛け合いで、その流れに合っていたと考えられる。
歌の成功も、同じ背景で説明できる。テレビに毎日出ている漫才師が曲を出せば、歌番組やレコード店の外にいる視聴者にも名前が届く。ただしウィキペディアの記述だけでは、売れた理由の中で曲そのものの力と、本人たちの知名度とがどれだけずつだったかは分からない。

評価の分かれる点

「武道館でコンサートをした初の漫才師」と「最優秀新人賞の最初で最後の受賞者」は、どちらもウィキペディアの記述で、今回ほかの資料と突き合わせていない。「初」「最後」と言い切れるかは、別の資料と比べる必要がある。
再結成の経緯も資料によって語られ方が違う。開いた日刊ゲンダイの記事は、まさとが50歳で戻ったことと、その後の鍛え直しを中心に書く。本人が語った理由は取材ごとに強調点が変わりうるので、ここでは一つに決めない。

くらさんの考察

ぼんちの歩みで目につくのは、ブームの頂点と、そこから20年以上たってからの再評価の両方を、同じ二人が経験している点である。1981年の大賞は人気の絶頂に贈られ、2026年の大賞は長い空白と再結成を経た活動に贈られたと考えられる。賞の意味は45年のあいだに変わっている可能性がある。
もう一つは、ブームの終わりが解散の理由の一つになっていることだ。毎日のようにテレビに出る芸は、消耗が激しい。再結成後の二人が、劇場、若手のライブ、賞レースに出続けているのは、その反対の働き方を選んだ結果だと考えられる。ただし二人がそれをどう意識しているかは、本人の発言を確かめていないので推測にとどまる。

ジージへの問いかけ

・1980年ごろ、『THE MANZAI』やぼんちの漫才を、テレビで見た覚えはあるでしょうか。当時の若い人たちの熱気は、ジージの周りでも感じられましたか。
・漫才師がレコードを出して売れるという出来事を、当時どう受け止めましたか。
・今のぼんちが『THE SECOND』のような賞レースに出ることを、どう思いますか。

出典

・ザ・ぼんち(ウィキペディア) https://ja.wikipedia.org/wiki/ザ・ぼんち
・上方漫才大賞(ウィキペディア) https://ja.wikipedia.org/wiki/上方漫才大賞
・ザ・ぼんち 里見まさとの再結成までの経緯(日刊ゲンダイ、2025年6月1日) https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/geino/372615/2

動画

・【ザセカンド2025ダイジェスト】Eブロック ザ・ぼんちvsハンジロウ/ノックアウトステージ16→8『THE SECOND~漫才トーナメント~』(【公式】THE SECOND 〜漫才トーナメント〜)https://www.youtube.com/watch?v=GIZy7XzVDc4

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