No.226新着 寄席の色物 落語の合間を彩る漫才・奇術・曲芸・紙切りの総称で、語源は定まっていない
色物は、東京の寄席で落語以外の芸を指す言葉である。漫才、奇術、紙切り、曲芸、太神楽、漫談などが入り、落語の合間に入って客席の調子を整える。語源は辞典でも諸説あって定まっていない。2026年11月1日に開いた落語協会の名簿には、色物が55件並んでいた。
本文と出典
あらまし
色物は、寄席の番組の中で、落語や講談以外の芸を指す言葉である。小学館のデジタル大辞泉は、講談・義太夫・落語に対し、彩りとして演じられる漫才、曲芸、奇術、声色、音曲などと説明する。
平凡社の世界大百科事典は、現在の東京の寄席では落語以外の演芸(漫才、音曲、奇術、紙切り、曲芸、声帯模写など)をこう呼ぶと書く。語源については諸説あって定まっていない、と同じ項目にある。
ウィキペディアによれば、看板やポスターで、黒以外の色(多くは朱色)で名前が書かれる芸人であることから、この呼び名がついたとされる。オールアバウトの解説も、番組表で落語家の名前が黒、色物の芸種が赤で書かれたことが由来だとする。ただし、百科事典は語源を断定しておらず、色の説は有力な一説として扱うのが安全である。
主なできごと
・1804〜1818年(文化年間) 講釈師が、落語を色物と呼んだ例がある
・1873年 紙切りを寄席で演じた最初の記録がある(ウィキペディア「紙切り」による)
・1915年 夏目漱石『硝子戸の中』に「色物」の用例がある(日本国語大辞典が初出とする)
・1930年 落語芸術協会の前身にあたる日本芸術協会が誕生した(同協会の会長あいさつによる)
・1937年 大日本太神楽曲芸協会が発足した(ウィキペディア「太神楽曲芸協会」による)
・1995年 国立劇場で太神楽の研修生制度が始まった
・2006年 9月15日、大阪に天満天神繁昌亭が開場した
・2023年 10月末、初代国立演芸場が再整備のため閉場した(日本芸術文化振興会の案内による)
・2024年 三代目林家正楽が亡くなり、正楽の名が空いた(ウィキペディア「紙切り」による)
くわしく 言葉の意味と変遷
色物の意味は、時代で入れ替わっている。日本国語大辞典は、古くは講談・義太夫に対して落語や人情話も色物に数え、現在は落語と人情話を含まないと説明する。世界大百科事典も、文化年間に講釈師が落語を色物と呼んだことを記す。
つまり、色物とは中心の芸との相対で決まる名であり、芸の種類で固定された名ではない。ウィキペディアは、落語を主にかける寄席で講談師が出ても色物とは扱わず、講談中心の席に出た落語家は色物になる、と東京の決まりを書く。
上方では事情が違う。同じ項目は、上方では漫才が主流なので、この区分はあてはまらないと書く。世界大百科事典は、関西では演芸場を「色物席」と呼ぶと記す。同じ言葉でも、東西で指すものがずれている。
くわしく 寄席の番組での役割
東京の定席は、鈴本演芸場、浅草演芸ホール、新宿末廣亭、池袋演芸場の4軒とされる(ウィキペディア「寄席」)。トリ(主任)は基本的に真打の落語家が務める、とも同じ項目にある。
オールアバウトの解説は、落語3〜4本の合間に色物が1本入る構成だと紹介する。役割として、落語が続いて集中が切れた客を派手な芸で立て直すこと、休憩直後のざわつきを笑いや驚きで鎮めること、トリへ盛り上がりをつなぐことを挙げる。
太神楽曲芸協会の鏡味仙三郎会長は、色物を野球の救援投手にたとえた(和樂Webの記事)。前の落語が延びたときの時間調整や、冷えた客席を温めて次へ渡す仕事があるという。出演者本人の言葉だが、一人の見方として読む必要がある。
くわしく 芸の種類
ウィキペディアは、東京の色物として音曲、奇術、曲芸(太神楽・曲独楽)、ものまね、紙切り、腹話術、漫才、漫談、ボーイズ、コントを挙げる。
太神楽は、神仏に奉納する神事芸能に由来し、獅子舞、曲芸、茶番、おはやしを合わせた芸である(和樂Web)。同記事によれば、戦前は約300人いた太神楽曲芸協会の会員が戦後に激減し、一時は絶滅の危機にあった。1995年に国立劇場で研修生制度が始まり、当時の記事では協会の太神楽師が26人、うち12人が研修生出身とされる。
紙切りは、客の注文(お題)に応じて即興で紙を切る芸である。ウィキペディアは、寄席で演じた最初の記録を1873年とし、地味な芸のため、寄席に出る人は少なかったと書く。戦後に初代林家正楽が、テレビの切り絵のクイズ番組で知られた、とも同項目にある。
世界大百科事典の「見世物」の項は、太神楽曲芸、曲独楽、声帯模写、百面相などの色物が、江戸期の見世物と実質的に同じだと述べる。色物は、見世物や大道芸とつながる芸を、寄席に取り込んだ側面を持つ。
くわしく 今の寄席と担い手
落語協会の公式サイトの芸人名簿(2026年11月1日に閲覧)には、落語家が226件、色物が55件載っていた。組で載る人もあるため、人数は件数と一致しない。色物の欄には、太神楽の翁家和助、鏡味仙志郎、紙切りの林家楽一、漫才のロケット団などが並ぶ。落語芸術協会は、1930年に日本芸術協会として誕生したと会長あいさつに記し、2026年11月1日付の同協会ページは、新宿末廣亭と池袋演芸場などを「本日の寄席」に挙げていた。
一方、日本芸術文化振興会の案内は、初代国立演芸場が令和5年(2023年)10月末から再整備のため閉場していると記し、閉場中は他の劇場で主催公演を行うとする。再開の時期は、開いた案内には書かれていなかった。
上方では、ウィキペディア「寄席」によれば、2006年9月15日に天満天神繁昌亭が開場し、大阪で半世紀ぶりの寄席となった。2018年7月には神戸新開地・喜楽館が開業した。
なぜ受けたのか
資料から確かめられるのは、色物が番組の流れを整える仕事を負っていたことである。落語は一人の語りが続くため、種類の違う芸が入ると客の耳が替わる。奇術や曲芸は目で楽しめる。仙三郎会長が語る時間調整の役も、色物にしか担えない面がある。
また、辞典の記述によれば、色物は江戸期の見世物や大道芸とつながる芸を含む。人が集まる場に、多様な芸を並べる寄席の形が、客を飽きさせない工夫として続いてきたと読める。
評価の分かれる点
語源が定まっていないことは、すでに述べたとおりである。色の説のほか、辞典は「色どりに入れるもの」を語意とする見方(ブリタニカ)も載せる。どれが正しいかは、開いた資料からは決められない。
もう一つは、色物という言葉の印象である。主役ではない脇の芸と受け取られる面があるが、これを軽く見る言葉かどうかは、資料からは確かめられなかった。出演者自身の評価を探す必要がある。
くらさんの考察
色物は、種類の名ではなく、番組での役目の名だと考えられる。落語と講談を中心に置き、その外側にある芸を一つの語で束ねたため、漫才も奇術も紙切りも同じ列に並んだ。
また、漫才は上方では主流の芸であり、東京では色物の一つである。この違いは、東西の寄席が別の道を歩んだ結果だと考えられるが、どう分かれたのかは、今回開いた資料だけでは確かめきれない。
後継者の問題は、芸ごとに差がある。太神楽は研修制度で担い手を育てた。紙切りでは正楽の名が空いている。ただし、現在の人数の増減は、今回の資料では比べられない。
ジージへの問いかけ
・ジージが若いころ、寄席やテレビで見た奇術、曲芸、紙切りで、いちばん覚えている芸は何でしょうか。
・正月のテレビで見た太神楽の曲芸などは、色物がお茶の間に出ていた例だと思いますが、当時はどう見ていましたか。
・落語の合間に漫才や奇術が入る番組の組み方は、落語を聞く側にとって、ありがたかったでしょうか、それとも邪魔だったでしょうか。
出典
・コトバンク「色物」(デジタル大辞泉、日本国語大辞典、世界大百科事典、日本大百科全書、ブリタニカの各項) https://kotobank.jp/word/%E8%89%B2%E7%89%A9
・ウィキペディア「色物」 https://ja.wikipedia.org/wiki/色物
・ウィキペディア「寄席」 https://ja.wikipedia.org/wiki/寄席
・ウィキペディア「紙切り」 https://ja.wikipedia.org/wiki/紙切り
・ウィキペディア「太神楽曲芸協会」 https://ja.wikipedia.org/wiki/太神楽曲芸協会
・オールアバウト「寄席の色物とは」(2023年12月更新) https://allabout.co.jp/gm/gc/207066/
・和樂Web「太神楽」の記事 https://intojapanwaraku.com/rock/culture-rock/64131/
・落語協会 芸人名簿(色物) https://www.rakugo-kyokai.jp/members/i
・落語芸術協会 https://www.geikyo.com/
・日本芸術文化振興会 https://www.ntj.jac.go.jp/
動画
・紙切り(寄席)(文化庁 bunkachannel)https://www.youtube.com/watch?v=0rBztNaRbe8
・寄席へようこそ -太神楽編/落語編-(Japan Cultural Expo 日本博)https://www.youtube.com/watch?v=tPLIJjQqjEc
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